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佐藤卓己『『キング』の時代』

『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性
(2002/09/25)
佐藤 卓己

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だが、知識人の目から見れば愚かしいだけの「物語」を、大衆が貪り読んだことも事実である。そのような「物語」に救済を求める大衆の弱さをあげつらう気に私はなれない。同時に、大衆の渇望した「物語」を供給した作家やメディアの弱さを弾劾することにも慎重でありたい。国民国家批判をつきつめれば「一億総難民化のススメ」に行き着くが、幸福な難民はおそらく一部の強者にすぎない。弱さの糾弾は、強者のみを正当化する政治に至る。それこそが、ファシズムとは言えまいか。敵か友かの踏み絵を迫るファシズムの語り口でしかファシズム批判ができないわけではあるまい。(p.xiiif)

1925年から1957年に渡って発刊された講談社の『キング』という雑誌を中心にして、講談社がこの激動の時代に果たした役割を描く大著。『キング』は日本初の100万部発行を達成し、広く国民に受け入れられ雑誌の黄金時代を築いた。本書の焦点はもちろん、このお化け雑誌『キング』を他の同時代メディアと比較することにより、その特色を描くことにある。それは岩波書店のような教養主義や、同じく大衆に訴えかけようとしたプロレタリア文化の雑誌などの出版界から、新聞、ラジオ、レコード、トーキー(有声映画)、テレビに及んでいる。『キング』の全時代にわたって多角的に書かれているので、かなりの情報量の本となっている。

『キング』を特徴付けるのはアメリカを強烈に意識した国民統合のスタイルと、ポピュリズムである(p.20)。著者が何よりも見ているのは、『キング』が担った国民統合の機能だろう。それまで雑多で様々な階層に分かれていた大衆を、総力戦体制へ向かう時代の中で国民へと統合するのに『キング』が寄与した。『キング』の発刊まで講談社の雑誌は『少年倶楽部』『幼年倶楽部』『少女倶楽部』のような少年少女用、『婦人くらぶ』のような女性雑誌、『現代』『雄辯』などの論壇雑誌などに分かれていたが、『キング』はこれらを貫いて誰にでも適合する、統合的な雑誌の役割を果たした(p.147f)。

もともと講談社が戦前期日本を代表する国民的出版社へ発展した理由を、著者は次の四つにまとめている。それは、大衆宣伝の組織化、階級を超えた「大衆」を念頭に編集されたこと、雄弁と講談(講談社の旧社名は「大日本雄弁講談社」である)という「声」を商品化する事業がラジオ時代の公共性に適合したこと、そして国民各層の統合システムを生み出したことである(p.111f)。つまり総力戦体制以前、財産と教養によって市民的公共圏が成立していたが、それが言語と国籍を条件とする国民的公共圏に代わられる(p.338)。『キング』を買うということはこうした公共圏の構造転換を担うことを意味している(p.374)。国民は、総力戦体制への移行において受動的に巻き込まれていった被害者ではない。国民は、主体的にファシズムを選択したのである。
「国民」とはそれほど消極的かつ受動的な読者だったのだろうか。売上部数の激しい伸張を見る限り、戦況を伝える雑誌に国民は殺到した。膨大な購読者に情報操作の犠牲者、メディア被害者としての免罪符を与えることは、大衆政治における政治的無関心や情緒的行動がもたらした結果に対する国民一人ひとりの責任を不問にすることにほかならない。その意味で、信条においてどれほど良心的であろうとも、こうした戦犯雑誌糾弾史に私は違和感を覚える。雑誌購読を通じて、大衆は政治参加を体験し、国民的アイデンティティを確認し、自由意志から戦争に翼賛したのではなかったか。(p.342)

『キング』は右翼雑誌でもファシズム雑誌でもない。戦前でも戦後でも『キング』を批判する人々には、『キング』に思想を読み込むものも多かった。たしかに『キング』は成功・繁栄・安定を掲げ、その時々の政権を支持する姿勢を崩さなかった。「雑誌報国」である。すなわち『キング』には政治的な普遍的価値基準は存在せず、『キング』が導いた読者の関心は主義主張ではなく実益娯楽なのだ(p.93,156f)。『キング』は読者に一時の娯楽を与えるのみだ。それは思想を持たない。だからこそ、例えば軍隊においてよく支持された。雑誌というのは総じてこうした性格のものであり、優れてフローのメディアである。一時期消費され、ストックとして保存されることなく捨てられていく。多事争論を前提とする新聞の公共性とは異なることが、報知新聞に『キング』のようなニュースに関係ない面白記事を載せようとして失敗した原因だ(p.291-297)。したがって『キング』は、このフローの性格から言ってラジオに近い(p.202f)。実際、『キング』とラジオは時期的にも並行して発展したのだ。東京放送局(JOAK)の認可は『キング』発刊の6日前だ。

さて他には、戦中期の雑誌ブームの記述が面白い。1930年代後半以降の雑誌メディアの状況はどうだろうか。多くの人は物資統制により雑誌のページ数や発行数は減少し、また内容も戦時統制が敷かれつまらないものだったと思っているのではないか。それは『キング』の研究を始める前の著者もそうだったらしい(p.339)。だが、事実はそうではない。この時代は暗い時代では決してない。日中戦争の始まった1937年から日米開戦の1941年までを見るに、雑誌は出版バブルといってもよい状況である。こうしたバブルの中、享楽的・娯楽的な記事が多数書かれ、それが勢い良く消費されたのだった。この時期は出版物に使われる紙が不足した「紙飢饉」とも言われる。だがそれは戦時統制や物資の不足で紙の供給が減ったからではない。出版バブルによる消費量の急増なのだ(p.346)。雑誌は、総力戦における「精神食糧」「精神弾薬」だったのである(p.376)。
貧しく暗い出版状況の中で日米開戦に突入したと考えるのは、根本的に誤りなのではないか。出版界に限っていえば、むしろ「バブル」に浮かれて主体的に開戦キャンペーンに邁進したといえまいか。(p.339)

戦後、「総力戦体制の中核的国策メディア」(p.393)であった『キング』はGHQにより発禁となった、と思いきやそうではない。むしろ、GHQは『キング』の情報統制機能を占領政策の普及に必要な大衆メディアとして利用した。著者はここにGHQの意図的な見逃しを推定している(p.398)。ともあれ、「ファシズムの手法で民主化は進められた」(p.397)のであり、戦後の『キング』は占領軍と結びついた。それが証拠に、占領体制の終わる1951年9月のサンフランシスコ講和条約調印を堺に、『キング』の部数は急落していった(p.411)。『キング』はリニューアルを試みるもそのブランドイメージからは脱せず、1957年に廃刊となる。それが意味するのは、「国民」という雑誌マーケットの消滅である(p.424f)。

最後に。よく講談社文化と岩波文化という対比が言われる。娯楽中心で国民の大部分に受け入れられた講談社文化、教養中心で国民の小部分にしか受け入れられなかった岩波文化。これは農村的国粋文化と都市的欧米文化、大衆的顕教とエリート的密教、女性的家庭雑誌と男性的総合雑誌などの二極化図式をその下位構造としている(p.44)。こうした対比についてその由来を含め、的確にまとめられた記述が見られる(p.43-65)。戦前にこの対比の萌芽はあるが、これは戦争責任論と文化革命の文脈で蔵原惟人や丸山眞男によって論じられた。つまり、岩波文化を担うヨーロッパ的教養を持った高級インテリが大衆に訴えかける力を持っていないことが、戦争に大衆が傾いていったことの一員であると。これはこうした高級インテリの免罪であるに違いない(p.53)。しかし著者はこの対立は断絶的ではなく、補完的であるという。講談社も岩波書店も、人を教育し教化するメディアであるには変わりないのである(p.64f)。

というわけで、講談社を研究した本書が岩波書店から刊行されているのは印象的なことだ。それに対して著者は特に何も述べていない。
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