Entries

佐藤卓己『現代メディア史』

現代メディア史 (岩波テキストブックス)現代メディア史 (岩波テキストブックス)
(1998/09/28)
佐藤 卓己

商品詳細を見る

メディア論の教科書。扱われている素材は書籍出版、新聞、映画、宣伝(プロパガンダ)、ラジオ、トーキー映画、テレビ。最後にインターネットがごく軽く触れられている。どれも発展の概説を述べた後、アメリカ、ドイツ、イギリス、日本の各固有の状況について解説している。巻末には邦語文献の基本文献案内があり、そこでは読むべき順番も示唆されている。一般的なメディア史の入門の体をしながらも、著者自身の視点が光っている。それは典型的には第二次世界大戦の総力戦体制に向けて各メディアが果たした国家統合の機能だ。別に第二次世界大戦でなくとも、19世紀ナショナリズムの勃興にメディアは重要な役割を果たしたし、第二次世界大戦以降であれそうした機能に関わっている。
このような、ありえたかもしれない「正しい発展」の可能性を示唆する歴史叙述はなるほど反ファシズム的であり反軍国主義的、すなわち「進歩的」であるには違いない。戦後民主主義の水脈を大正デモクラシーに求め、それと昭和軍国主義のコントラストを強調すればするほど、戦前と戦後の溝は深まることになる。だが、こうした叙述から、現在の画一的なメディア体制の問題点を批判的に提示する視座を得ることができるだろうか。(p.194f)
情報宣伝の効率性を追求した戦前の思想戦論と、民主主義を掲げて情報産業の効率性を追求した戦後社会論の差異は見かけほどではない。この事実こそ、終戦を終着点とする、あるいは出発点とする歴史叙述が無視してきたものである。(p.196)

メディア史といえば他でよくある記述としては、古くラスコーの壁画を取り上げたり、イリアスに代表される口述の歴史、グーテンベルクの聖書の活版印刷などを取り上げられるものだ。だが著者はこうした視点を素朴で不自然(p.vi)として退け、あくまで現代的な視点から現代のメディア史について語ろうとしている。そもそもメディアという言葉が生まれたのも第一次世界大戦期のアメリカである。

読み始めていきなり不意をつかれたのは、まず第二章で都市の発展が扱われていることだ。著者は都市自体も、その上で人々が集まり様々なコミュニケーションが行われる場・媒体mediumとしてメディアであると捉える。そこで電気を始めとする都市インフラや鉄道などの交通について述べる。例えば鉄道旅行などの鉄道による移動の普及が、持ち運びのしやすい文庫などの小型本の市場を拓いた(p.53)り、電気の普及が家庭での読書を可能にした(ラジオ、テレビは言うまでもない)。こうした意味で都市の発展はメディアにとって中核的事態だということが納得される。

また通俗文化についての目配りもこの著者の視点の一つだ。例えば書物は理性的なメディアと捉えられる向きもあるが、著者はこれにワンパターンのハッピーエンド恋愛小説であるハーレクイン・ロマンスのシリーズを対置している(p.45)。ラジオの普及にあっても「低俗的な」ものへの視線が欠かせない。映画にあっては、「軍需に優先してまで娯楽映画を量産し続けた第三帝国」(p.193)といった評価もある。

総じて情報量がとても多い本だ。教科書でもあり個々のトピックについて詳説はされない。消化するのはかなり大変な本だ。共時的にトピックが散りばめられる傾向もあり、個々のトピックのつながりにときおりはっとさせられる。

以下の言葉は著者のスタンスを明快に表すものだろう。しっかり噛み締めておきたい。
歴史学は真実や正義を調べるものではない。なぜ虚偽や非合理を人間が支持したかを理解することにある。(p.230)
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/658-5c97c9c5

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する