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佐藤卓己『「災後」のメディア空間』

「災後」メディア空間 - 論壇と時評 2012-2013「災後」メディア空間 - 論壇と時評 2012-2013
(2014/02/24)
佐藤 卓己

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著者が新聞等に連載していた時評などを集めたもの。時期の区分として東日本大震災を軸にしている。著者の同様のものは『メディア社会』があるが、こちらは論壇時評を含んでいる。一つのトピックを巡って2、3ページで書かれている文章が主なので、あまり深くは論じられていない。

論壇といってもいまはそうした雑誌の影響力も落ちている。冒頭に著者は「論壇」というものの過去と現在について論じ、またいま論壇時評をすることの意義について述べている。この箇所はとても面白い。東日本大震災とその後の反原発デモについて、柄谷行人のような端的なデモ礼賛を批判している。どんなに崇高な目的を掲げたものであれ、共通の敵を作って共感により人々を動員するこのやり方は、ファシスト的方法である(p.12-42, 74-77)。

著者はこれに対して、おなじみの輿論と世論という概念対に基づき、そうした世論に流されるのではなくて、輿論としての理性的な議論を求めている。その担い手の一つとなるのが論壇となるだろう。論壇時評はこうした輿論の状況を俯瞰するものとなり、「アカデミズムのショーウィンドウ」(p.254)の役割を果たす。

しかし論壇の影響力が落ちていることにもあるように、輿論のきちんとした位置を確保するのはかなり困難だ。著者の本は何冊も読んだが、輿論の実際の姿を自分はイメージすることはできなかった。こうした著者のスタンスに対して、輿論を求めることの非現実性(観念性)を指摘した東浩紀はたしかに鋭い(p.40f)。とはいえ、世論の即時的な可視化(一般意志2.0)をもって輿論に代えるのもどうなのか。個人的にはこの概念対の二項対立ではないところに何か展開があるように思える。

論壇雑誌だけでなく新聞に掲載された文章については、いきおい新聞というメディアの役割を論じ、新聞人を批判・鼓舞するような文章が並ぶ。新聞というメディアに多くを期待していない自分には、感じるものが少なかった。何度か本書でも登場するウィルバー・シュラムの概念対を使えば、新聞は心情倫理に基づき、快楽原理による即時報酬ばかり提供しているようにみえる。著者はそうした即時快楽をもたらすのはインターネットであって、新聞はスローなメディアとして現実原理による遅延報酬に固執せよと語る(p.78f)。これもだいぶ違和感がある。インターネットといっても、こうした議論に関わる分野では活字メディアが中心だ。ツイッターのようなメディアはともかく、種々のWikiやブログは即時性が比較的低い。少なくともある部分では、一日経てば顧みられることないような新聞というメディアより存続期間が長いものもあるだろう。

他、紅白歌合戦における韓国歌手の出場に関して、重要なのは発信されるメディア文化の内容よりも「情報ハブ」(おそらくプラットフォーム)を押さえることだという論点が目に留まった。"Made in Japan"よりも"Spread from Japan"を目指せ(p.110)ということだ。ちょっと前に『日経ビジネス』が謳っていた"Made with Japan"はこれに近い発想だろう。
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