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安宅和人『イシューからはじめよ』

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」
(2010/11/24)
安宅和人

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無駄な作業を徹底的に省き成果を上げる方法について。それは本当に問題とすべき事柄、イシューをつかんでフォーカスすること。労力を注ぐべきよいイシューとは(1)他の問題の検討に影響を与える、本質的なものであり、(2)深い洞察、仮説を持っていて、(3)答えが出せるものだ。そのようなイシューを探す発散的思考法が述べられる。その後は、そのイシューに従って論理を組み立てて説明資料に落としていく。後半は他の本でも多く書かれているし、本書はその点はやや散漫な印象だ。

世の中で問題だとされているものの大多数は、本当はイシューではなくて答えをだす必要もないものだと言う(p.59f)。だからイシューを捉えろといってもかなり難しい事柄だ。また、イシューをつかんだと思っても、見たいだけのものを見る「答えありき」の態度になってしまいがち(p.183f)。あるものがイシューだと言うためには、類似のものはそうではないと考える姿勢が必要。

捉え方の違いだと思うが、引っかかった2点。
「So What?」のアプローチの解説は、文章を細かくしていくアプローチになっている(p.94-97)。「地球温暖化は間違い」という文章を「地球温暖化は北半球の一部だけで起こっている現象である」と説明を細かくすることがSo Whatアプローチなのだろうか。私の思っているところだと、So Whatはデータから何が言えていかに行動すべきなのかを問うアプローチだ。ある事実やデータがいかに正しくとも、それだけでは意味が無い(「だからどうしたSo What」)。そこからどんな行動を取っていくかを示さなくてはならない。だから「地球温暖化は間違い」という主張に対するSo Whatアプローチの先は、この主張の細分化ではなくて、「CO2の削減に使っているコストはカットすべきだ」とか「温暖化対策の製品のマーケットには投資すべきではない」などの、行動を導く主張となるはずだ。So WhatアプローチはWhy Soアプローチ(なぜその主張が言えるのかの根拠を問う)と対になるとよく言われるが、著者の言う「地球温暖化は北半球の一部だけで起こっている現象である」からはWhy Soで「地球温暖化は間違い」にはたどり着けない。
「空・雨・傘」というストーリーの組立方法での「雨」は課題の深堀りとされている(p.135f)。これも妙な感じを抱く。「雨」は課題の深堀りではなくて、一般法則の個別事例への当てはめではないか。「西の空がよく晴れている」という空命題からは、いかに深堀りしても「今の西の空の様子では、当面雨は降ることはなさそうだ」という雨命題は出てこない。その状況から出てくるのはせいぜい「西の空には雲が三つしかない」などの情報だ。事実だけからでは未来予測はできない。この雨命題は「西の空が晴れていれば、当面雨は降らない」という全称命題の例化だ。著者は「空・雨・傘」は日常生活でよく使われると書くが、その通り。これはアリストテレス以来おなじみの実践的三段論法なのだろう。三段論法の大前提を小前提の深堀りと見なしてしまうのは、三段論法が一本のロジックラインからなるとしたバーバラ・ミントの誤認をひきずっているのか。

論理の組み立て方やスライド作成のテクニックについては、ここ1~2年で急速に多くの良書が出たからか、2010年の本なのにどことなく古さを感じた。
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