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インドロ・モンタネッリ『ローマの歴史』

ローマの歴史 (中公文庫)ローマの歴史 (中公文庫)
(1996/05/18)
I. モンタネッリ

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ローマの歴史を描いた本として有名な一冊。扱われているのは先史時代からローマ帝国の成立、東西ローマ帝国の分裂を経て、476年の西ローマ帝国の消滅まで。筆致が実に軽やかで、テンポよく読むことができる。一文が短いし、体言止めなどを多く用いた訳文はテンポを損なうことがない。ローマの歴史というと栄光の歴史であって、構えた論じ方が多いようだ。この本はそうした傾向からは離れて、一歩身を引いた観点から書かれている。著者の冷めた視点というか、皮肉めいた視点がとても楽しくて、たまにくすりと笑ってしまう。

そうした冷めた視点からすると、逆に人間臭さが浮かび上がる。例えば、家庭の幸福に恵まれないアウグストゥス(p.316-318)。活発で情事の多い娘ユリアを何とか安定させようと、他人の幸福な結婚をぶち壊してユリアと結婚させること2回。頭を抱えるアウグストゥスが目に浮かぶようだ。また、記述のバランスもよく取れている。アレクサンデル・セヴェルス帝の死後50年間の混乱期はあらすじだけとされている(p.452)し、コンスタンティヌス帝の成立を巡る分裂状態もめんどくさいので省略(p.463)と割り切っている。また、この本は主に都市ローマのことを扱っており、ローマ帝国の東方や西方への拡大についてはあまり記述はない。

そういえば、本書の分量はローマ帝国の成立までが案外に長い。著者の視点は、ローマ帝国成立以前の共和制ローマをよい時代とし、皇帝の成立は元老院と市民のローマ(SPQR; Senatus Populusque Romanus)でやっていけなくなったことを示していると見ているように思われる。皇帝による独裁になれば、皇帝がよい治世者であればよいが、暴君であれば手が付けられなくなる。例えば狂気の皇帝カリグラの横暴に対しては結局、皇帝暗殺しか対策がない。しかも傭兵頼みだ(p.338)。

こうした凋落にギリシャ文化の流入の影響を大きく見ている。それまでローマにはそう華美で豪奢、洒脱な文化はなかった。彫刻、文学、哲学、装具品のきらびやかなものは西方からもたらされた。それを一番察知していたのはカトーだ。「ローマの頽廃をかれほどなまなましく予感した人はなく、頽廃の源泉はギリシアだと、かれほど明瞭に言い切った人もなかった」(p.195)。ギリシャはローマによって征服されたが、その文化は野蛮なローマを魅惑したわけだ。

凋落する文化の中で元老院の権力を最後まで確保したのは、キケロが構築した元老院と富裕層による「秩序のための同盟」だった。しかしこれはカエサルが率いる平民派と富裕層が手を組むことにより崩壊する。三頭政治の成立はこうした権力基盤の移行を如実に示している(p.265f)。とはいえ、頽廃したローマを支えることができたのは植民地の富にすぎない。元々、しっかりした経済的基盤を持たないローマは崩壊の一途をたどる。本書にはそうしたローマの頽廃文化がよく描かれている(p.389-396)。何しろ休日は年間に175日。日常のことは奴隷に任せて観劇とスポーツばかりしていた(p.405)。そうした文化がいつまでも続くわけはないだろう(といっても何百年も続くが)。
同胞相食む殺し合いを楽しむ町人、すぐに暴徒と化す軍隊、昨日花やかに讃歌で包まれた身が今日は汚物にまみれて死んで行く皇帝ーーこれがローマのありのままの姿だった。(p.380)


マルクス・アウレリウス帝を経てセヴェルス朝の頃では、著者は特に女性の活躍(暗躍)を取り上げている(p.449-451)。男性がどうしようもなく堕落したから女性が権勢を持って引っ張っていくしかなくなったわけだ。こうなるとローマから逃げ出す人々も出てくる。300年前後のディオクレティアヌス帝の時代について、かつては蛮族の住む地域からローマに保護を求めて人々が流入したのに、ついに逆に蛮族の地域へ人々が流出しだした(p.458)。こうしてローマは瓦解していく。蛮族がローマに迫る中、唯一冷静に対処しローマの崩壊に抗ったのが、自身も蛮族出身の将軍スティリコ。だが懸命に帝国に尽くすスティリコをローマ自身が裏切ることになる。著者はこの裏切りに最大限の酷評を与えている。
だがイタリア人は、徴兵制絶対反対を唱え、一方では蛮族に屈服しようとしているという理由でスティリコ将軍を告発した。自分たちの中から兵を出さずに、どの兵を用いて戦えというのか、それはだれにも分らなかった。だが蒼くなったホノリウス帝は、この将軍の十年の忠誠を一瞬に忘れてしまい、逮捕を命ずる。帝国軍はスティリコだけをたよりにしていたのだから、反乱を起そうと思えばわけはなかった。だがこの将軍は、帝国の権威を尊重しすぎていたため、難をまぬかれることができず、ラヴェンナの一教会で処刑された。これは、ローマの名において犯された数々の犯罪のうちで、もっとも愚劣、もっとも卑劣、もっとも破滅的な犯罪だった。帝国は最良の臣を失っただけでなく、まだ忠誠を誓っていた蛮族のすべてに、事態を明白に認識させる結果となった。官吏にせよ軍人にせよ、つぶれそうな帝国の屋台骨を支えるのは蛮族出身者しかなかったのに、ローマは自分の手でかれらの信頼をぶちこわしたのである。(p.502f)


ローマの生み出した最大のものといえば国家概念であろう。ローマは国家を支える5つの仕組み、知事、裁判所、警察、法典、税務署を整えて国家を築き、軍によってそれを支えた(p.96)。ローマ軍は滅法強かったが、それは自分たちは偉大なことをなすために神々に創造されたのだ、という信念に基づくとされている(p.49)。他の点を言えばローマは特に新しいものを生んでいない。むしろ、地中海世界に広く普及させたことに意義がある。学問、芸術、政治形態、キリスト教。これらは他の地域にあったものをローマが広めたのだ(p.514f)。そういう点からすればローマ人たちは凡庸であり、我々とさほど違いない。ただ逆に、その凡庸な人々が偉大な事柄を成し遂げたということが我々にとって重要なのだ。
ローマの歴史が偉大なのは、それが私たちとは違った人びとによって作られたからではなく、私たちと同じような人びとによって作られたからだ。(p.11)
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