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坂部恵『モデルニテ・バロック』

モデルニテ・バロック―現代精神史序説モデルニテ・バロック―現代精神史序説
(2005/04)
坂部 恵

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近代性(modernité)とバロックをキーとした論文集。この対概念を中心としつつ、様々な思想について語った論文を集めている。ある程度の基調は感じられるが統一感は無い。晩年の著作でもあることから、一つのテーマについて詳細な展開がするのではなく、個々のトピックについて大きな流れを示すような記述が多い。

著者としては問題の所在や方向性を示すことに眼目があるようだ。そうした指摘の中にはかなり意外なものもある。例えば、象徴主義詩人でいくつか警句的アフォリズムをものした萩原朔太郎を日本哲学史上の重要人物として評価する(p.67)。また、明治以降の日本においてイマジネーションのもっとも豊かな第一級の哲学者として岡倉天心を挙げている(p.185)。文学的感性をもたない私にはこうした評価はよく分からない。

表題になっている近代性について言えば、何度かボードレールの定義を引いている。それは近代性を担う個々人の個別性と、個別性を超えた普遍性の両面を兼ね備えている。そして近代性は啓蒙主義や合理主義への憧憬を持ち、それらからは退廃したというデカダンス(字義どおりに下降)、一種の諦めを含んでいると指摘される(p.106f)。近代性は能天気な楽天主義ではなく、ポスト・モダンを論じる際には近代の多面性に配慮すべき、と語られる。

合理主義を受け継ぐ近代性とは別の流れとしてバロックが位置づけられる。著者の思想の見立てでは、西欧思想に二つの流れがあるとされている。それは、ギリシャ語のlogosがラテン語でratioとverbumの二つに受け継がれたことに代表されている(p.52f)。ratioは言うまでもなく理性、論理、自然法則、神の思考だ。こちらの方が思想史の中ではメインになっていて、合理主義はこの流れに属する。verbumは言葉だが、創世記において世界を成立させた神の御言葉である。言葉によって世界を拓くこの側面は新プラトン派の流出論、ビザンツの神秘主義を経てライプニッツなどバロックの流れに至る。verbumの流れとしてヘルダーを評価するのはこの著者におなじみのものだ(p.94-97)。本書で何度か出てくるのは、17世紀のドイツ・バロック悲劇の復権を図ったベンヤミンをこのverbumの流れに位置づけること。近代性が退潮する中で伏流的なものであったバロックが、ベンヤミン(やドゥルーズ)への評価とともに浮上するのは、著者には当然のことだろう。

本書は講演原稿が多いこともあり、詳細な論述を省いて「これは明らかに~を踏まえている、~のことである」といった言い回しが散見される。あまりに大胆な引き方にちょっと疑問を抱くことも多いが、岡倉天心の著書『東洋の理想』について書かれた下記は一番驚いた。
『東洋の理想』の英文表題は、The Ideals of the East - with Special Reference to the Art of Japanでした。ここにいう大文字のIdealは、あきらかに、高次の実在にして理想。いうまでもなく、ここには、カントからドイツ観念論にかけてのこの語の用法のこだまが聴こえます。(p.198)
そのこだまは幻聴だろう。"Ideals"が大文字なのはそんな理由ではなく、これが本のタイトルだからキャピタライズされているだけだ。当該の本の中においてidealは大文字化されて術語として扱われているわけではない。もし上記のようなことを主張するなら、同じ岡倉天心の著書"The Book of Tea"のBookは大文字だから、それは"The Book"(=聖書)を含意しているということになろう。
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