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フェルナン・ブローデル『地中海〈1〉』

地中海〈1〉 (藤原セレクション)地中海〈1〉 (藤原セレクション)
(1999/01)
フェルナン ブローデル

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原著は一冊だが、この翻訳は10巻からなっている。第一巻から読みだしたが、きわめて面白い。本巻は地中海の地理的プロフィールと、それらが地中海で織り成される歴史に与える影響を扱っている。こうした地理的な視点はブローデルに特徴的なもの。地理的要因がもたらすプロセスは数世紀に渡る。こうした長期の、緩慢な運動の機器や絶頂にだけ関心を示すのが普通の歴史家のやることだ。ブローデルは、この長期的な緩慢な運動を捉えることを重視する(p.160f)。歴史の中に地理的な時間、社会的な時間、個人の時間を区別する(p.23)。

この巻では山地、高原、平野を扱う。そしてそれらを混合させるものとして移牧・遊牧を位置づけている。なかでも山地についての話が面白かった。歴史家は権力者が動き回る昼間の平野にばかり拘っている。平野の近くにある高い山に目を向けることが必要なのだ(p.39)。山地は移動が困難であり、周りから隔絶した領域を形成する。地中海の山は都市や低地の歴史をはねのけ、独自性をもつ。風変わりで生き生きとした山岳住民は地中海の至る所にいる(p.65)。山地には平野の人間とは違う種類での、自由な世界が広がっている。平野の人間を撹乱する、山賊などがまず頭に浮かぶだろう。ただしブローデルは、地中海の山地が日本や中国のように閉鎖的な世界ではないと述べている(p.48-62)。地中海の山地には街道があり、農業や牧畜が行われていると。中国だと山岳に少数民族が隔絶して残っているのが思い浮かぶが、日本だと何を想定すればいいのかよく分からない。マタギの世界とかだろうか。

そんな山地だが、利用できる土地が限られているので増加する人口を支えきれない。そこで山地の人間は商人や傭兵として各地の平地に離散していった。その意味で、山は「他人が使うための人間をつくりだすところだ」(p.75)。狭い山地に比べれば、平野は都市の発展するところでもあり、開けた明るく素晴らしいところに考えられるかもしれない。だが地中海の平野は、洪水に悩まされ、またマラリアに悩まされた死の土地だった(p.94-102)。確かに古代のローマは沼のなかだった。こうした山地と平野の対比がとても面白い。平野とは土地改良が必要なところであり、干拓して灌漑を行わなければならない。平野は征服されるべき土地であり、「新しい国土、国内のアメリカ大陸」(p.105)だった。こうした大規模な土地改良を必要とする平野部は、その余裕のある大地主と奴隷的農民に分かれる、格差の土地であることは容易に想定される(p.117-121)。

移牧と遊牧がこうした山地と平野を交流させるものとして書かれているのも、着眼点が面白い。イベリア半島の例が詳細に辿られている。しかし重要なのはもっと大きな流れ、つまり7世紀のアラブ人、11世紀のトルコ人の地中海侵出だ。この二つの流れが、ヒトコブラクダとフタコブラクダの違いで説明されているのは意外だった(p.153)。この二つのラクダは似ているように見えながら、ヒトコブラクダは乾燥と高熱には強いが寒さは苦手。フタコブラクダは寒さに強く、山の起伏も恐れない。このラクダの違いが、アラブ人とトルコ人の活動範囲を決める。かくしてアラブ人が活動した地中海世界は北アフリカへ、トルコ人の活動した地中海世界はバルカン半島とアナトリアへ。二つの地中海世界が現れることになった。
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