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フェルナン・ブローデル『地中海〈9〉』

地中海〈9〉 (藤原セレクション)地中海〈9〉 (藤原セレクション)
(1999/11)
フェルナン ブローデル

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1566年から1574年までを扱う。スペイン、ローマ教皇、ヴェネツィアの対オスマン協定である神聖同盟の締結巡る流れ。神聖同盟のもとでのレパントの海戦は、本書の記述のクライマックス。そしてヴェネツィアの神聖同盟からの離脱と、スペインによるチュニス占領を描く。

神聖同盟に至るスペイン側の流れとしては、ネーデルラント戦争(オランダの80年戦争)とグラナダ戦争が扱われる。ブローデルの評価では、ネーデルラント戦争はフェリペ二世の重大な失策だ。ネーデルラントは世界に開かれた場所であり、ヨーロッパの物流拠点として生きていた。その土地をスペイン化し世界への扉を閉ざさせようとすることは結局、無理な試みだったのだ(p.257)。こうしてネーデルラントに手を取られている間、1568年からグラナダ戦争が始まり、「国内で勃発したこの戦争にスペインは端から端まで揺さぶられた」(p.295)。さらに戦費が膨らみ、スペインの財政は急速に悪化する。また、コンスタンティノープルで行われている軍備拡張とオスマン帝国の干渉への恐れが地中海を支配する(p.292-300, 327f)。

ウルージ・アリがチュニスを占領した(1570年)のもこうした間隙を突いたものだ。同年、オスマン帝国のキプロス島占領もある。キプロス島をオスマン帝国が攻撃したのは、「地中海の一方の端で、スペインが国内戦争によって足を引っ張られているように見えていたからではないだろうか」(p.315)。つまりブローデルは、グラナダ戦争からチュニス占領、キプロス島戦争を経て神聖同盟調印へ要因の流れを描く(p.306)。

オスマン帝国については、ブローデルの当時はトルコ国内資料が外国人に公表されていなかったらしく、「16世紀のトルコというのは、歴史学の上では、ほとんど何も知られていない国」(p.317)だそうだ。いきおり、その記述はキリスト教国側からの報告資料や旅行記などに頼っている。この点はこの本自体がスペインを中心にしているとはいえ、踏まえておくポイントだ。

ヴェネツィアはスペインとオスマンという二つの帝国に挟まれる。16世紀の後半、地中海世界はヴェネツィアの生活の流儀に反して進む。キプロス島を筆頭に、その勢力圏は犠牲となる一方である(p.324)。ヴェネツィアは二つの帝国の間のバランスを取り、オスマンとの交渉余地を残すため、神聖同盟の調印交渉をだらだらと引き延ばす。また同盟締結の裏でフランスと交渉をする。これは神聖同盟の締結前から、ヴェネツィアの「裏切り」を準備する(p.348-361)。

さてレパントの海戦。この出来事に対するブローデルの評価は有名だ。それはキリスト教国側の華々しい勝利であるが、ごく僅かな影響しかもたらさない。もちろん、レパントの海戦以降、地中海からオスマン帝国の威力が薄れる。キリスト教国側ではガレー船の漕手がすっかり入れ替わる。だとしても、レパントの海戦の華々しい結果に目を奪われることは、その背後で動いている大きな流れを見失うことになるだろう。「歴史的な経験としてみれば、レパントの海戦の意義は、たぶん、華々しい実例を呈示することによって、事件史の限界そのものを示しているという点にあるだろう」(p.347)とは皮肉な調子だ。
しかし、ただ単に事件だけにこだわらなければ、つまり、歴史のきらびやかなあの表層に注意を奪われなければ、おびただしい新しい現実が噴出しているのであり、しかもそれらの現実は騒々しい派手なざわめきも立てず、レパントの彼方へ歩みだしているのである。(p.346)


レパントの海戦の勝利以降、キリスト教国側では妄想めいた壮大な戦争計画が多数語られた。それにしても、ヨーロッパ大陸内の戦争に余裕ができたスペインが珍しく肩入れしただけで、持続するものではなかったのだ(p.374-379)。神聖同盟からのヴェネツィアの離脱以降、フェリペ二世は地中海で大々的な政策を採るのを断念する。スペインの財政はそのような余裕を許さなかった(p.430)。

ちなみにレパントの海戦と同様に、事件史としては大きく扱われるが、ブローデルのもっと持続的な視点からはさほどでもないものとして、聖バルテレミーの虐殺(1572年8月24日)がある。ブローデルは他の歴史家の意見、特にこの世紀の転換点と見たミシュレに抗する。聖バルテレミーの虐殺はフランスの政治方針を持続的に変えてはいないのだと(p.390f)。

この巻はとても面白かった。第8巻がつまらなかったのはなぜだろう。ちなみに、ネーデルラント戦争でも聖バルテレミーの虐殺でも、ブローデルは宗教改革についてごくわずかしか述べない。地中海文明がプロテスタントを拒絶したこと、そうした戦争はあくまで事件史のレベルのものだということ、だとしても、なぜなのか疑問がずっと残る。宗教改革はそれこそ持続的な大きな転換であろうし、地中海世界での反宗教改革はこの時代のローマ教皇やスペイン国王の動きに大きな影響を与えているはず。
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