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塩野七生『ローマ亡き後の地中海世界3』

ローマ亡き後の地中海世界3: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)
記述はスペイン、フランス、オスマン帝国という三つの大国がせめぎ合う時代へ入っていく。それまで各都市ごとの小さな集団を中心として動いていた海賊とそれへの対抗が、より大きな領土国家の枠組で動き始める。1494年のフランス王フランソワ1世のイタリア侵攻をもって、時代は都市国家から領土国家へ主軸が移る。個々人の生産性は低くとも人口の多い方が優位に立つ。大国間のパワーゲームの時代が到来する(p.257)。

領土国会の時代、16世紀の海賊は、船団の大型化、大砲などの火器装備の進化、海賊団を率いるリーダーの能力向上という特徴を得ることになる(p.75f)。特に海賊団のリーダーとして、キリスト教国にも名を知られるような者たちが出現する。これは、オスマン帝国がその弱点である海上での統率力の欠如を補うために、海賊をバックアップしたことが大きい。オスマン帝国は陸戦には強かったが、海上の操舵力に欠ける。そこで海賊を育成して軍隊に適宜組み込むこと、またキリスト教国に対して大掛かりな海戦ではなく海賊によるゲリラ戦を仕掛けたことが大きい(p.53-62, 114-116)。まさに例外なのがレパントの海戦であって、ガレー船の構成を見ても、これこそイスラム軍とキリスト教軍の正面対決であった(p.193f)。

こうして、強化された海賊に地中海沿岸はまたも悩まされることになる。海賊への対策は各国で様々だった。海賊並みの蛮行を働き、それを背景に外交を優位に進めるという、片手で殴り、片手で握手するような狡猾な外交を展開するジェノヴァ共和国。決して自ら攻撃せず専守防衛に徹するが、襲われたら反撃し即座に死刑とするヴェネツィア共和国。そして北アフリカに城塞を確保するものの、大砲を設置して大国としての威信を守るが、実効的ではなかったスペイン王国といった形(p.102-106)。

海賊対策としては聖ヨハネ騎士団の例外さが目立つ。イスラム側からの海賊は、襲撃して物資を奪うだけでなく人間も拉致していく。そして拉致した人間は奴隷化し、例えばガレー船の漕手に使われる。キリスト教国側にはこのような扱いは基本的になかった。ガレー船の漕手も志願者か、あってもスペインのように犯罪者や宗教的異端者であった。聖ヨハネ騎士団はこの点で例外をなす。海賊に対向するのに海賊と同じ手段を取った。1523年、オスマン帝国にロードス島を追われた聖ヨハネ騎士団は法王庁海軍に合流するが、こうした態度が共闘体制の破綻に至る。聖ヨハネ騎士団のやり方は、イスラムにおいて重要視される髭を剃り落とすなど相手の文化に対する尊重がなかった(p.156-168)。

後半は戦略に一貫性を欠くスペイン王国の外交と、スペイン憎しで常にスペイン対抗策を取るフランスという軸で描かれている。本書は基本的にヴェネツィアへの肩入れが大きく、スペインとフランスの描き方には違和感を抱く。フランスの対スペイン意識は深いもので、ミラノ公の後継問題が印象的だ。スペイン国王カルロスが憎いフランス王フランソワ1世は、なんとオスマン帝国と軍事同盟を組むに至る。オスマン帝国が南イタリアを攻撃し、フランスが北イタリアを攻撃してカルロスを追いつめるアイデアだ。こうしてオスマン帝国は南イタリアのカストロを占領し、これに対しスペインはヴェネツィア領のコルフ島付近で対戦する。それを傍観したとしてオスマン帝国がヴェネツィアに牙をむくという展開を迎える(p.260-286)。とはいえ、フランスとオスマン帝国のつながりが、対スペイン意識のみから描かれるのはどうなのか。
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