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塩野七生『ローマ亡き後の地中海世界4』

ローマ亡き後の地中海世界4: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)
地中海を巡るスペイン、フランス、ヴェネツィアといった大国とオスマン帝国のせめぎ合いが続く。この時代は海の現場においても、スペインの海軍提督アンドレア・ドーリアや、オスマン側のドラグー(赤ひげ)、ウルグ・アリなど魅力的な人物が描かれている。

相変わらずスペインにはやや冷淡な記述が続く。ヴェネツィア、ローマ教皇、スペインが連合してオスマン帝国に挑んだプレヴェザの海戦では、特にスペインのドラグーがスペインの立場に固執して統一した動きが取れず、大した戦いもせずにキリスト教国側が敗戦する。これを機にヴェネツィアはカルロスとドーリアへの不信を深め、オスマンとの講話へ向かっていく(p.27-29)。1538年のこの戦いはインパクトが大きく、サラセンの海賊の跋扈を招く。まるで中世に逆戻りしたような様相を地中海は呈することになる(p.31)。

キリスト教国、特にスペインの反撃の試みは成功しない。1541年にカルロスは自らアルジェ攻略に乗り出すが、悪天候によりほぼ自滅する形で撤退。1561年にはフェリペ2世がトリポリの攻略を試みるが、連合軍は統率がとれておらず失敗する。かくして海賊たちに一層の自信を与える結果に終わる。
20年前にはアルジェ攻略を期したカルロスを敗退させ、今度は、トリポリ攻略を期したフェリペの軍を敗退に追いやったのである。わずか20年の間に、ヨーロッパ最強のスペインの王である父と子を、二度までもつづけて敗退させたのだ。海賊たちが、オレたちの天下、と思ったとて当然である。いかにトルコ帝国の後援があろうと、前線で戦ったのは彼らであったのだから。(p.147)


スペインが強大な力を持っていても世界秩序の確立に成功せず、パックス・ヒスパニカはならずパックス・ブリタニカへ時代が向かっていく理由。それは、他民族を活用する才能、政治的センスの欠如に求められている(p.242)。インカ帝国を利用せずにただ滅ぼしたのはその証である。スペインと対照的なのがヴェネツィアだ。レパントの海戦以降の話になるが、ヴェネツィア貴族の娘で海賊に捕われ、スレイマンのハーレムに入り後のスルタン、ムラード3世の母となったチェチリアのエピソードが扱われており、面白い。ヴェネツィア側はチェチリアを密かに巧みに利用し、オスマン帝国との講和に導く(p.267-276)。ヴェネツィアの巧みなインテリジェンスは本書で何度も言及される。

さてアルジェ攻略、トリポリ攻略での劣勢を翻すきっかけになるのが、1565年のマルタ騎士団によるマルタ攻防戦と位置づけられる。マルタ騎士団の見せた強大な精神力による防衛成功は人々を勇気づける。人々は海賊から逃げるだけではなく、マルタでやったように城塞にこもって海賊を迎え撃つように代わっていく。16世紀後半のこの時代、各地の海沿いの城塞が大幅に強化される。対策なき精神主義は愚策だが、対策を立てる力があるのに諦めてしまっている人たちには精神主義も有効なのだ(p.213f)。

一方、スレイマンを継いだスルタン、セリム2世は1570年にキプロスを攻める。なぜキプロスなのか、特に地中海の要衝クレタでないのはなぜかについて、セリム2世の父への対抗心とキプロス産のワインが欲しかったからという理由が書かれている(p.225)。これはちょっと表面的すぎる記述に見える。もっと背景となる理由があるだろう。ともあれキプロスはオスマン帝国に奪われるが、続くレパントの海戦はキリスト教国側の勝利に終わる。そしてこの海戦にてオスマン海軍はほぼ壊滅、以降地中海の制海権はキリスト教国側に移る。聖ステファノ騎士団とマルタ騎士団の隆盛はレパントの海戦以降、オスマン側の海軍力が衰退して海賊の襲撃が減ったことを意味する(p.276-287)。

レパントの海戦を境に地中海で大きな動きはなくなる。それ以降はヨーロッパの中心は北へ、戦いは大西洋へ移っていく。本書もここで閉じる。テンポの良い記述と魅力的な人物の活写が楽しい本だが、いくつか不満点も残った。(1)人物中心に描いているために歴史上の転換点が人物の動機を基にしている。ブローデルを読んできた私にはあまり納得がいかなかった。(2)ヴェネツィアへの肩入れが大きく、スペインとフランスがあまりにお粗末に描かれている。また国王レベルの人間よりも現場の人間を著者が好きなようで、カルロス1世やフェリペ2世よりドーリアの方がよっぽど魅力的に書かれている。(3)キリスト教側から海賊の話を巡っている本なので当たり前だが、イスラム勢力=海賊=野蛮、それに対してキリスト教国側=海賊に晒される可哀想な民衆=文明という図式が全般を占める。イスラム勢力側について読者に残る印象は悪いものしかないだろう。それは違うのではないか。
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