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山崎康司『入門 考える技術・書く技術』

入門 考える技術・書く技術
バーバラ・ミントの有名な著書の訳者による本。ミントの『考える技術・書く技術』のエッセンスをベースにしている。ポイントは、ミントの本が文書作成全般について書かれているのに対して、ビジネス文書に絞ったこと。また特に日本語で文書を作成する際にはまりがちな点を丁寧にフォローしたこと。個々のポイントについて例示や練習問題もあり、考えながら読んでいける。

とかく主語や文意全体を曖昧にしがちな日本語に対して、主題を明確にすることや曖昧さを排除することを述べている。この点はとても役に立つ。主題に明示化についてはOPQ分析が書かれている(p.26-36)。OPQ分析ではObjective(望ましい状況)、Problem(問題)、Question(読み手の疑問)という三つの項目を検討する。この三つの観点で文章の主題を絞り込んだ上で、議論のレールを外れないようにトピックを意識しながら、Answer(回答)を記すのがロジカルな文章だ。

もっとも参考になったのは、「しりてが」接続詞を(特にメッセージラインでは)基本的に禁止すること(p.116-124)。「しりてが」接続詞とは、「~し、」「~であり、」「~して、」「~であるが、」といった、文と文を曖昧に接続する小辞のこと。著者によれば、日本語の文章が曖昧になってしまう大きな原因はこれらの接続詞による。接続の意味が順接や逆説、理由などとはっきりするものに置き換えられるべきだ。例えば「この部署には若者がおらず、元気がない」という文では「しりてが」接続詞が典型的に使われている。この場合は理由を明示して「この部署には若者がいないため、元気がない」とすべきだ。確かに自分も多く使ってしまいがちであり(・・ではなく、使ってしまいがちなので)、注意していこう。

さらにメールの書き方として、「感謝の言葉にPDF」というのもある(p.138-142)。これはメールに記す内容の順番。まず、相手に不躾にならないように感謝の言葉を書く。そして、Purpose Statement(目的文)、Detail(詳細)、Follow-Through(今後のアクション)という順番になる。これは実は書く内容が何なのか、つまり情報提供、依頼、謝罪等によって変わってくるだろう。基本形として押さえておくべき話だ。

変だなと思った箇所は二つ。まず、名詞表現、体言止めは使用禁止とするという箇所(p.58f)。「東南アジア市場の推移」というメッセージが禁止で、「東南アジア主要諸国の市場は、過去5年、年率20%近くの大きな拡大を見せている」とすべきだという。これは単に体言止めがダメだという話ではないだろう。後者は「過去5年、年率20%近くの大きな拡大を見せている東南アジア主要諸国市場」という体言止めでも良いように見える。問題は見出し程度にしかならない、内容の薄いメッセージを書いてしまうことにあるはずだ。

もう一つの箇所は、帰納法と論理についての見解。ミントの『考える技術・書く技術』では帰納法の性格付けについてかなり奇妙な見解があった。その訳者なのでどうだろうと思ったが、やはり妙な箇所がある。帰納法については、こう書かれている。
帰納法とは、複数の特定事象(前提)から要約(結論)を導くロジック展開です。結論は、常に推論となります。絶対的な真実ではなく、前提から導かれた「論理的に」正しい推論です。(p.70)
もしかすると2つ心臓を持つ馬が存在するかもしれませんが、上記は論理的に正しい推論と言えます。前提の数が多ければ多いほど推論の正しさは強まりますが、それでも結論は推論です。(p.71)
帰納法を思い出してください。結論はあくまでも推論であり、そのロジックは結論の正しさを「証明」するのではなく、正しさを「支持」するものでした。したがって、絶対的に正しい「モレのない」ピラミッドなどありえないのです。(p.99)

帰納法はそれ自体として論理なのだから、帰納法での推論は十分、論理的と言える。ただし、推論の結果の結論は絶対的真実ではない。一つ目の引用文でそう著者は正しく指摘している一方、二つ目の引用文では「推論の正しさ」が強まるとしている。強まるのは結論の正しさであって、推論の正しさではない。正しさ・真理が言えるのは文である。推論は妥当するかしないかであって、真理を問うものではない。真理truthは文について言われる一方で、推論について言われるのは妥当性validityである。三つ目の引用文にある、結論の正しさを「証明する」か「支持するか」の区別はよく分からない。帰納法も論理であって、帰納法を使った推論が妥当なのであれば、結論が支持されるだけというのは何を言っているのだろう。

ちなみに何度も「結論は推論である」という言い回しがある。これはかなり意味不明だ。結論は推論そのものでなく、推論の結果である。以下の記述からすると、おそらく著者は推論と推測を混同しているものと思われる。
帰納法は結論が推測であり、前提(下部メッセージ)が結論の正しさを支持するという論法でした。一方、演繹法の場合は、すべての前提(下部メッセージ)が正しければ、結論も絶対的に正しくなります。推測ではありません。(p.81)
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