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鈴木淳『新技術の社会誌』

日本の近代 15 新技術の社会誌
科学技術を用いた製品が人々の日常に浸透してゆく様を追いながら、それが日常生活に及ぼした変化を見ていく。時代は明治維新と太平洋戦争後。これらの時代を扱うといきおい、政治史が主になってしまう。この本には政治の話は登場しない。しかしその時代時代を彩った新しい技術による製品と、それによって変わっていく生活の様は読んでいてとても面白い。

扱われている製品は、明治期が洋式小銃、活版印刷、人力車、時計、蒸気ポンプ、板ガラス、電車、自転車、ラジオ。太平洋戦争後が洗濯機、プロパンガス。こうした製品の選び方はいくらでもあって、著者もどれを選ぶのかだいぶ苦労しただろう。確かにどれも我々の生活を大きく変えたもので、その意義は大きい。

こうした製品が普及していく様もうまくまとまった記述で、読んでいて楽しい。自分にはこうした製品が人々の生活にもたらした効果にやはり目が行く。例えば、洋式小銃の導入は必要とされる戦術を変化させ、従来の武士の役割を変えてしまった。洋式小銃の担い手は、従来の武士層というよりも身分が低くても体力の優れた者たちが採用されたのだ。洋式小銃の導入により、身分的に不安定になってきていた武士層は、その立ち位置を一層崩された。
洋式小銃の導入は一面では幕府歩兵や農兵隊のように、軍事力の担い手を武士以外の者にも広げ、武士身分そのものの軍事的存在価値をおびやかしつつ、より直接的には、武士身分内部での上下の秩序を解消する方向に作用したのである。(p.33)

人力車の話はなかでも一番面白かった。人力車が文明開化の象徴なのは、その洋風の意匠もあるが、早く走って次の客を早く乗せれば儲かるという、距離性料金だったこともある。著者はここから、これは時間が金になるということを目に見えて示したのだと読み解く(p.67-72)。また、人力車の車夫になる人は様々な出自の人であり、雇用の調整弁の役割を果たした。これは現代でもタクシーの運転手は同様の役割を果たしている。ここから著者が言うのは、市民平等の新社会はまず人力車夫の世界から生まれたと考えることもできる、というなかなか大きな話だ(p.79-83)。

板ガラスの普及という観点も面白かった。確かにそれ以前の日本家屋には板ガラスはなく、障子が外に向かってむき出しだった。気密性の低い日本家屋は、外からの埃に容易に悩まされた(そして、プロパンガスの章に扱われているが、家の中の竈や囲炉裏から出る煤にも)。家屋以外の使用でも、ガラスのショーウィンドウの採用は、百貨店を変える。それまでは外から見える場所に商品など置いておらず、薄暗いなかにいる店員が客の話を聞いて商品を倉庫から出してきた。こうした座売りから、多様な人に訴える陳列販売への転換を可能にしたのが板ガラス(p.146f)。

洗濯機が太平洋戦争後、日本には真っ先に普及していく。それはテレビ、冷蔵庫、掃除機よりも先。実はこの普及の順番は日本独自だという。その理由として、蒸し暑く洗濯が頻繁に必要な気候での洋装の普及、戦後の急速な女性の地位向上があるとされている(p.250-253)。

プロパンガスと生活の変化について考えたことなどなかったが、本書のプロパンガスの章は様々に考えさせられることがある。 プロパンガスは都市ガスの配管がきていないところでもガスの利用を可能にしたのだ。都市は配管が延びるのを待たずして拡大し、農村は都市の家と同様な経済合理的な消費の主体となった(p.280f)。都市と農村の両方でそれぞれ違う役割を果たしたのは面白い。
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