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黒田俊雄『寺社勢力』

寺社勢力―もう一つの中世社会 (岩波新書 黄版 117)
鎌倉時代を中心にして、いわゆる旧仏教勢力、顕密仏教を描いたもの。奈良時代・平安時代を経て寺社勢力が成立する過程、本寺・末寺や荘園支配といった支配体制、寺社内の位階秩序や意思決定の仕組み、僧の典型的なキャリア、政治勢力や鎌倉新仏教との関わり、地方寺社。そして室町末期から戦国時代にかけて寺社勢力が衰退していく様を描いている。「寺社」勢力なので神道も記述のスコープに含まれているが、仏教についての記述が主である。

古代仏教では三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の6宗に整備された(p.5f)。これら諸宗は諸宗兼学が奨励されていたこともあり、独立した宗派ではなかった。だが最澄や空海がもたらした仏教が顕密仏教として整備され、鎮護国家の理想のもと政治に深く関与するようになると、諸派として独立性を強めていく。これら顕密仏教の寺院は自律した社会的・政治的勢力、つまり権門となっていく。そうした寺社勢力の自治を担ったのが、「大衆(だいしゅ)」と呼ばれる寺院に所属する僧たち(p.34-38)。大衆には上下関係はあったものの、規則・方針・処断を決定するのは、原則として大衆の合議だった。集会(しゅえ)による寺社運営により、自治が制度的に確立していた。これは権力者の専断で物事が動いていた時代にしては、注目すべき仕組みだ。集会の合意による運営は、インド仏教教団の僧伽の和合の理想に基づいているが、中世に新たに発展したものと言える(p.117-119)。経済的には寺院の支配する荘園に基づき、寺社勢力は一つの政治勢力として成立していた。
寺社は、中世が虚飾のために生み出した幻想ではない。それは、中世の生産力に照応したところの幻想であり、荘園領主・在地領主の支配という生産関係の上に築き上げられた上部構造の、主要な一つであったのである。(p.170)


自律した勢力としての寺社勢力は、他勢力に対抗するための独自の手段を持つ。いわゆる僧兵だ。ただ、僧兵という言葉には注意が必要だと著者は書く。武装した僧侶を指した僧兵という言葉は1715年になって初めて現れる。この言葉には、武装するのは武士だけでなければならないという江戸時代の特権意識と仏教への蔑視が込められている(p.30-34)。寺院の宗徒による蜂起は11世紀中頃から12世紀末まで続いたが、著者はその抗争を四つに類別している。国司、院、武士など世俗勢力との抗争。同一寺院の門徒、寺院間の対立。同一寺院内の身分階層間の抗争。旧仏教と新仏教の抗争だ(p.55-62)。

特に鎌倉新仏教との関わりでは、旧仏教側たる顕密仏教の改革が扱われる。鎌倉新仏教は顕密仏教を民衆を支配する体制の一つとして批判し、民衆に直接救済をもたらすとした。しかしそれは鎌倉新仏教からの見方である。専修念仏が物議をかもしながら広まっていったのと同時に、南都の復興は貞慶や高弁などにより妥協なく厳格に行われた。この改革では近隣の庶民が寺院内の地位を持つなど近隣とのつながりが深く、平易な改革が行われたのだ(p.94-98)。顕密仏教と民衆との関わりはもっと注目されてよい。

地方寺社を扱っているのも本書の特徴の一つ。 地方の中小寺社こそが寺社勢力の広大なすそ野を形成し基盤となっていたのだ。これら地方寺社は京都・奈良の巨大寺院に組み込まれていただけではなく、独自性を持っている。著者は地方寺社を四つに類別している。国や郡の単位で勢力を持った有力地方寺社、いわば中央大寺院のミニチュア。地方貴族や武士の氏寺。村落や町など地域の生活組織と深く結びつき、地域により維持されていた村堂・町堂。そして人里離れた山地・僻地にあった別所・草庵。もちろん、栄枯衰退のなかで地方寺社はこれらの類型を揺れ動いた(p.142-149)。

鎌倉末期以降、寺社勢力の性格が変化していく。まずこの時期、公家・武家による仏事・神事の興隆が盛んになる。それは蒙古襲来をはじめとする社会的政治的危機の進行と関連している。また叡尊、日蓮や一遍など、鎌倉新仏教の第二派が生まれ、これにより寺社勢力は変貌していく(p.172-182)。14世紀になると、後醍醐天皇と足利義満による強力な寺社支配があり、寺社側もそれに呼応して政僧が現れる。このことは寺社勢力の相対的な低下と、権門としての実力権威の後退を意味している(p.188-192)。さらに、室町幕府による禅宗の保護が意味を持つ。禅宗は足利義満によって五山として整備される。五山は官寺であったが権門ではなく、むしろ幕府の私寺に近い。それがゆえに独特の力を持ち新型の寺社勢力となった(p.194f)。

変貌した寺社勢力は、鎮護国家の理想のもと政治秩序と結びついていたため、室町幕府が支配範囲を狭めていくに従って荘園支配などの基盤を狭めていく。こうした流れの上で、著者は寺社勢力の没落への決定的な打撃を、一向一揆の席捲と戦国大名の支配に求めている。一向一揆は畿内に残っていた寺社勢力の地盤を破壊した。寺社勢力はすでに、戦国大名の領国支配と軍事力に対抗する力を持たなかった。ただ、織田や豊臣による寺社勢力の焼き討ちと殺戮は、独自の勢力としての寺社勢力に向けられていた。その支配力を失った後では、むしろ積極的に寺社は再興されたのだった(p.220-224)。
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