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ハンナ・アーレント『人間の条件』

人間の条件 (ちくま学芸文庫)
政治哲学の名著。古代ギリシャから中世哲学、マルクスまで多くの知識を総動員しており、読むのはなかなか骨が折れる。人間が生きているうちに行う事柄を「観照的生活」(vita contemplativa)と「活動的生活」(vita activa)に分ける。観照的生活とは真理を追求する哲学者のような生活で、思考がその最たるものとなる。観照的生活は本書でメインに扱うものではない。本書の特徴は、活動的生活を労働labor、仕事work、活動(活動というよりは行為)actionに分け、この三区分の間の優劣が歴史的にどのように変遷してきたのかを論じていること。

労働とは自分が生きる上での必要を満たすために行われる生活様式。労働においては人は自分の生存のみに関心を寄せており、世界や他人と共生せずに、ただ自分の肉体とともに必要に向き合っているだけ(p.340)。労働とは反政治的な生活様式であって、たとえ集団労働の形であっても、分業された中で個々それぞれの労働を行っている。仕事とは物を製作する生活様式で、こうした人は「工作人homo faber」と呼べる。仕事workによって作品workを製作することにより、人間だけが自然に客観性を獲得することができる。労働は生存を維持することが目的であるから、作り出したものはすぐに消費される。例えば料理のようなものが想定されている(いわゆる家事は労働の典型である)。仕事は客観的に存続する物(この物の集合が「世界」と呼ばれる)を作り出し、単なる生物学的運動のサイクルから脱する(p.224f)。活動は言論を典型例としており、すぐれて政治的領域の生活様式である。異なる視点・観点を持つ人間たちが議論しあう様式が活動。したがって活動は、共通点を持ちつつもまったく異なる複数の人間の存在、多数性を前提としている(p.148f, 286f)。この活動は人間の排他的な特権であり、神も活動の能力を持たない(p.43f)。神には多数性は無いのだ(アレントは一神教的伝統の中でのみ神を考察している)。人間が人間らしくあるのは、ただ言論と活動においてのみである(p.287, 332f)。この点は本書ではあまり強調されないが、アレントが活動にこそ人間が人間たる所以を置き、活動の重要性を訴えようとしていることは明らかだ。

タイトルの「人間の条件」とは、こうした人間の生活様式の前提となる条件のこと。人間を絶対的に条件付け定義する、人間の本性・本質ではない(p.24f)。そうした本質は人間には存在しない(実存主義的テーゼ)。労働の条件が自然(生物学的事実)、仕事の条件が世界性(製作したものの持続性)、活動の条件が多数性となる(p.21f)。

労働・仕事・活動の優劣の変遷では、古代ギリシャでは活動、近代では仕事、現代では労働がそれぞれ優位を占めていると分析される。古代ギリシャのポリスでは、活動が行われる場(アゴラ)で自らの個性や特性を示し、他者との差(これが徳areteとなる)を示すことがよいこととされた(p.64f)。労働や仕事は下位のものとされた。労働を行うとは自らの生存の必要の奴隷であることであり、文字通り奴隷の仕事だった。仕事も、何かのために製作するのであって、それ自体の価値を享受しないがゆえに軽蔑された(p.249f)。古代ギリシャ以降のしばらくは、観照的生活が活動的生活全般の上位に置かれたため、活動的生活のなかの差異と優劣は見失われた(p.138f)。近代になり、仕事が優位に立つ。工作人は世界から材料を得て、仕事の目的となる製作物をもたらす。工作人にとっては、すべてのものが目的・手段連関のなかにある。功利主義的発想が典型的である。しかしすべてが目的・手段連関の中にあると、最終的な目的自体を定めらることはできない(功利主義を選択する理由は功利主義的に決定できない)。例えばカントは、人間を目的自体としてこの問題から抜け出したのだった(p.244-253)。

近代はこうしてすぐれて工作人の特徴を持っている。すなわち、製作物と道具に対する信頼、目的・手段カテゴリーの全範囲への適用可能性、人間の動機の有用性への解消、与えられたものをすべて材料とみなす態度、すべての問題は解決可能とする信条(p.478)。だが近代の精神はやがて、製作された結果の目的物よりも手段、過程そのものに関心を移す(p.464f, 480-482)。すべてのものが目的・手段連関の中にある以上、当然の帰結だろう。我々は現代でもまだ、すべてを有用性で眺めるこうした視点を持っている。しかし現代では、何よりも労働が優位を占めるようになった。人々はまず身銭を稼ぐことを重視するようになった。稼げて一人前である。経済が主たる関心となり、政治的領域をも侵食している。しかし労働が生存の必要に応じたものである以上、労働の重視は人間を生物に還元する。人間は、動物に自ら進んで退化しているのだ(p.497-500)。例えオートメーション、労働の機械化により人間が労働から解放されたとしても、現在の社会は労働からの自由を手にするのに値する労働以上に崇高で有意味な他の活動力について何も知らない(p.14f)。

活動の場を確保することはとても難しい。なぜなら、人間は活動によって世界に新たな始まりをもたらすから。始まりとはそれまでからは予想もつかないようなこと(p.287-289)。すなわち活動の過程の不可逆性と結果の不可測性である。人間は一人一人違っておりユニークだから、いかなる活動を行うのか事前に予測できないし、活動が行われた時にその結果を予見することもできない。また一度行われた活動は後から取り消すことができない。活動にはこうした本質的な脆弱性がある(これは実存が本質に先立つというすぐれて実存主義的発想だろう)。活動はあまりに多くの人が存在する場では不可能である。ギリシャ人はポリスの活動が市民の数の制限により成り立っていることを自覚していた。人口が増えるほど画一性が必要になり、公的領域は社会に浸食されていく(p.66f)。社会とは近代の出現と同時に現れた新しい現象で、私的でも公的でもない。どちらかと言えば社会は私的領域の拡大されたもので、家族の集団を経済的に組織して、一つの超人間的家族としたものだ。その政治的組織形態が国民と呼ばれる(p.49f, 54f)。社会では行動behavoirが活動に取って代わる。行動は社会の成員に課せられる画一性である(p.64f, 73f)。現在の社会にあるのは、画一性と規律からなる行動であって活動ではない。すべてが画一化された時、そこにあるのは巨大な主観、巨大な一つの経験である。複数の視点を失ったとき、共通世界は失われる(p.87)。

プラトンの思考を活動の脆弱性への対策として位置づけるのが面白い。プラトンは人間の活動のもろさを排除しようとして、思考と活動を分離した。支配者が思考し、その命令を受けて非支配者が活動する。これは家父長的、主人と奴隷の関係である。つまりプラトンは家内共同体を全体に拡大しようとした。そのために、活動を仕事に置き換えた。仕事の製作モデルでは作るべき物、目的物が前もって念頭に置かれる。この事前の念頭に置かれているものこそ、イデアである。活動を仕事で置き換えるために、プラトンはもともと美のイデアとして語られていたイデアを、善のイデアとして適用したのだった。こうして、哲人王は善のイデアを手本に国家を製作する。それが活動の脆弱性への対策である(対策というより、活動を救うのを諦めた)(p.351-357)。

しかしアレントが考える活動の脆弱性の救い方は、許しと約束である(p.370-373)。一度行った活動は取り消すことができない、すなわち活動の過程の不可逆性に対して許しがあり、活動の結果の不可測性に対して約束がある。ここは詳述されておらず、より展開されるべきテーマだろう。

キリスト教への批判的視点も印象に残るポイントだ。キリスト教も共同体を構成する。この共同体にあっては、それぞれの人が個々人として認められ尊重される。これは活動の場を拓くのかというと、まったくそうではない。人間関係を同胞愛の上に築こうとするキリスト教には公的領域はない(p.80f)。愛による共同体はあくまで家族的なものであり、公的なものにはなりようがない。愛は公に曝されることができないものであって、世界の変革や救済のような政治的目的に用いられるとき、愛はただ偽りとなり堕落する(p.77)。キリスト教的共同体が公的領域を形成できない点についてはとても納得がいく。

労働が現代において優位を占めるようになった過程については、よく分からなかった。仕事の製作モデルは現代でも多くの地位を占めているように見える。アレントは労働の優位性には、キリスト教が関わっていると見ている。労働が仕事に変わって最高位に昇格したのは、キリスト教による生命の神聖さの強調によるのだと。ただしキリスト教の生命の神聖さの強調は現代になって出てきたわけではなく、もちろん古代からある。現代まで労働が優位になかったのは観照的生活があったからだとされている。この歴史のなかでも生命を神聖視する伝統は疑われなかったため、残ってきたのだとされる(p.488-494)。この辺りはよく分からない。労働の優位性については、自分の読めていないことがもう少しあるようだ。

第六章の大部分は、近代の自然科学と哲学の特徴づけを行っている。ここはそれまでの労働・仕事・活動の区分もあまり出てこないし、議論の全体での位置づけが不明だ。あまり視点も面白くないし、何をしたいのかよく分からない箇所だった。
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