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岩村充『中央銀行が終わる日」


ビットコインを初めとする仮想通貨と、それが普及した際に通貨の管理者としての中央銀行はどのように役割が変わるのかというテーマを追っている。ビットコインと金融政策という、どちらもそれ自体でなかなか難しい話題。それに加えて、ありうる未来の話をしているため、どういう社会なのか想像力が求められる。ビットコインにまつわる暗号理論などの技術的なレベルは高くない。ただマクロ経済学の用語が多く、読み手にある程度のレベルを要求する。語り口は平易だが、内容は噛み砕くのに少し苦労する。

冒頭から、黒田日銀総裁の進める異次元緩和についての批判が続くのはちょっと興ざめする。もちろん本書の話題としては密接に関連するものだが、時局の政治的評価はここには無くても良かったのではないか。とはいえ、このままではジリ貧だという時には後から考えると不可解なほどに無謀な決定が熱狂的に支持されること、そして黒田日銀の異次元緩和もそうした時代風潮にあるのではないかという評価には納得する(p.43)。いわゆるガラガラポンの願望だ。

金融政策とビットコインとの関係は、まず糸口として、アメリカ・ヨーロッパ・日本を始め、中国などでも行われている超金融緩和にある。超金融緩和が終わる時、いわゆる「出口」では混乱が予想される。そうした混乱から自分を守る一つの手段は、貨幣の外の世界への逃避だ。例えば、他の貨幣や実物資産がそれに当たる。ただし他の貨幣は、金融政策の国際協調によって連動性が高まっており、逃避先として機能しない。ここにポイントがある。金融危機に対して世界は協調することを覚えた。しかし協調することは逆に全員でリスクを共有することでもあるのだ。一方、不動産や貴金属といった実物資産も逃避先となるが、ビットコインは中央銀行が提供する以外の貨幣として逃避先となる。それはキプロスの例などを見れば、未来に十分に有り得る話だろう(p.48-50)。

本書にあるビットコインの仕組みの解説はとてもよくできている。ここだけで読む価値は十分にある。ビットコインの仕組みそのものや、その背景思想、旧来の枯れた技術を使いながらもどこが革新的なポイントだったのか、そして弱点とビットコイン以外の仕組みの可能性。とても参考になる。例えばビットコインに成功をもたらしたのは、リアルタイムで決済しないにしても、10分程度の遅延で大きくなければ使い物になる、という割り切りだった(p.89)。また、マイナー(採掘者)によるProof of Workこそ、ビットコインの肝だ。Proof of Workとは結局、残高不足などの無効な送金や二重送金を防止するための仕組みだ(p.91-97)。マイニングに成功したマイナーに新しい貨幣を与え、取引の正当性証明問題を計算量負荷競争という経済性問題に置き換えて実務的に解決したというのがビットコインの「コロンブスの卵」なのだ(p.100, 124)。

そしてビットコインの欠点とは、その供給量の限界があらかじめ2,000万BTCと定められていること。そして、4年毎にマイナーが獲得できるビットコインの量が半減すること。供給量が定められていて変動の余地が無いビットコインの供給曲線は直立してしまっている。そのためにビットコインの需要が少しでも変化するとその価格は大きく変動する。これではビットコインの将来価値を予測することはできず、貨幣として扱えても通貨としては使うことはできない。つまりその都度の交換手段としては有効でも、未来に渡って価値を保てない。これがビットコインの一番不十分なところ。そのためにはマイニングにかかった費用を得られるビットコインの原価にすれば良い。ここに、他の仮想通貨(本書ではアルトコインと呼ぶ)がビットコインを改善する余地がある(p.149-157)。

後半は金融政策とは何をもたらすのかについて、マクロ経済学的な議論が続く。その中で印象に残ったのが金本位制について。著者は通俗的な理解とは違って、金本位制は金そのものに価値があったから安定していたのではないと書く。そうではなく、金価格を安定させるためにイギリスがアフリカからの金の供給を調整したからだ。
当時の世界の金価格は、覇権国であり基軸通貨国でもあった大英帝国の事実上の支配下にあり、その英国が金価格を安定させたいと欲し、また、それに成功していたことが、金本位制時代の貨幣価値安定の背後にあったと考えるのが事実に近いのではないでしょうか。(p.148)


本書でもっともスリリングなのが、マイナスの利子をもつ銀行券の思考実験だ。現在の金融政策には流動性の罠がある。現金、すなわち中央銀行が独占的に発行する銀行券は利子がつかない、つまり利子が0%である。金融政策がコントロールする政策金利は、この銀行券の利子0%を下回ることができない。しかし例えば銀行券がすべてデジタル化され電子マネーになり、その価値が自由にコントロールできるようになれば、話は違う。現金に対してマイナスの金利を付加することもできる。現金の価値が時間が経つと減価するようなものだ。この発想のもととなった思想家ゲゼルの名をとって「ゲゼルの魔法のオカネ」と呼ばれている。こうしたデジタル銀行券は、現在のアナログ銀行券と両立可能だ。もちろんアナログ銀行券自体を利子付きにしてもいい(銀行券が交換される際に利子を計算する)。しかしアナログ銀行券をデジタル銀行券に対する証券投資信託のように扱う発想も書かれている(p.226-234)。この辺りは面白いのだが、発想が特異でなかなか理解し難い。

最後はデジタル銀行券が普及すると、中央銀行の役割はどうなるかについて。デジタル銀行券は、マイニングの計算エネルギーを必要とするビットコインよりも発行コストがずっと安い。それゆえ、ビットコインよりもデジタル銀行券をブロックチェーンで送金するほうが優位に立つ(p.251-255)。発行コストが安いため、各銀行がそれぞれの銀行券を出すこともできる。つまり、貨幣がデジタル化され、貨幣利子率が動かせるようになったとき、中央銀行による通貨発行独占は必要ないのだ。もともとこの通貨発行独占は副作用がある。それは「貨幣供給価格の限界費用からの乖離、そして、預金を決済に用いる金融システムの危うさ」(p.272)の二つ。前者はいわゆるシニョリッジ。後者は取り付け騒ぎのリスク。これらは成長経済と物価の安定を両立させるために、許容された副作用だ。しかしデジタル銀行券の時代では不要であり、不祥の器だ(p.270-275)。

金融政策とは未来と現在の交換である。金融緩和は、未来における富を現在に持ってくる方法である。これは未来に富があるからこそ成り立つ。未来が豊かでなくなれば機能しない。著者は、将来の日本は、常態的なデフレと突発的な異常なインフレが繰り返されるようになると予想する。人々が金融政策が未来の豊かさを保証しないと人々が思い始めれば、中央銀行が独占的に貨幣を発行することへの合意も崩れる(p.217-219, 286)。その果てに中央銀行に残る役割は、様々に発行される銀行券に対する価値尺度を提供する役割だ。中央銀行は不要となるのではなく、銀行券同士の比較尺度を提供する中立的な組織として、物価や景気を操ることのない慎ましやかな組織として残るのだ(p.288-293)。
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