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林周二『経営と文化』


企業、軍隊、学術、労働、宗教などの各団体などのあらゆる個々の組織体とその活動は、いずれもそれに固有な文化にもとづいた行動をするにしても、下位の次元において、その組織体と活動とがよって生育している基底たる文化によって、具体的には言語、宗教、芸術、そしてそれらによって構成されたさまざまな秩序観(空間観、時間観、自然観、聖俗観等々)によって、深層的に強く規定せられている(p.241f)

各種の組織体における意思決定を中心とする行動の、各国間の差異を追ったもの。たしかに意思決定や仕事に対する態度、他人に対する態度などには各国文化で差異がある。組織体も文化的社会のなかの一員によって構成されるのだから、もちろん文化的特質によって規定されるだろう。逆に、企業が例えばマーケティング活動で文化の一端を築くことがあるように、組織体も文化に影響を与える。その意味で、組織体(特に企業)は大きな文化的責任を社会に負っている。すなわち、よき文化の創造と伝播である。それはCSRの話ではない(p.26f)。

本書では日本の文化的特質を他の文化との対比で明らかにしつつ、それが組織内の活動のどういう特徴として現れるかを多面的に論じる。単なる行動様式を超えて、時間観、空間観、美・自然観が扱われている。具体的なビジネスシーンを提示して「こういうときどうするか」と問うたアンケートの結果を用いていて、その結果は面白い。例えば、就業時間を超えて仕事が残っているとき、切りのいいところまでやってから帰るかどうかについて、日本人と韓国人で大きな差が出る(p.11f)。日本人が仕事をある程度やってから帰るのに対して、韓国人では時間になったら帰る。また、交渉に来て合意できず成果なく帰る相手に対して、別れの際に宴会をするかどうかについては、日韓で86%ほどなのに対してアメリカで20%程度というのも面白い(p.173f)。

ただ、どうも私には印象論に終始している議論が多いように感じられて、多くの箇所は納得がいかなかった。こういう文化的差異の話は、ともすればどのようにも言える。そのために多少とも客観的と言えるデータが必要だ。新書という形態だからか、こうした論拠に当たるものはさほど提示されず、論拠の無いものか、エピソードが印象的に紹介されるに終わる。評価が難しい。また、通常の日本文化論は欧米と比較するものが多いが、本書ではむしろ韓国・中国と比較する(p.ii)と書いてある。しかし内容はほとんど、欧米との比較であり、中韓との比較はあまり出てこない。この点も落胆させられる。

本書の大きな問題は、日本文化といっているものの時間的スパンが恣意的だということではないか。それは第二次世界大戦後だったり、明治維新以降だったり、江戸時代だったり、果ては農耕文化の成立以降だったりする。いったいいつのことを言っているのだろう。日本企業の行動や特質を形作る大部分のものは、第二次世界大戦後に特有のものだ(終身雇用制とか、ジョブローテーションとか、平等主義とか)。著者も気づくように(p.111)、それはここ70年ほどのとても時間的に局所的なものであって、日本文化の特質というのはおかしい。戦争によって上の世代が激減し、国土が等しく荒廃したために、同じ世代が同じ条件でアメリカをモデルとして一斉に新しく経済活動を始めた、ということは文化的差異よりもはるかに大きい規定要因だろう。

単一民族「日本人」という見方すら支持していない私には、ついていけない箇所が多かった。水稲耕作文化が日本のムラ組織、お飾りとしてリーダーを置くという意思決定方法を生み出した(p.83-89)というのは、中根千枝を引いてくる話。これなどは、著者のみならず多くの箇所で暗黙に前提とされる。しかし国土が狭く、河川が急峻な日本で水稲耕作が中心となるのは変なのではないだろうか。こうした文化は広大な耕作可能な土地を持つ中国などのものだ。そして日本は行政機構を基本的に中国にならい、独自のものを発明しなかったので、行政管理上は水稲文化なのである。だが実際には水稲では日本は成り立たず、漁業や海運が裏の、地下のネットワークとして発達し文化を築いている。そう見えないだろうか。

田辺元を引きつつ、現在のみを考えて、現在に囚われない未来の長期的な視野が無い日本人の時間観を提示している(p.151-155)。これも一人のベルギー人の言った言葉から連想しているように見え、議論のレベルは高くない。著者はもともと経済統計の専門で、こうした日本文化論が専門ではない。いやそれとも、本書の書かれた時代(1984年)からだいぶ経ち日本文化が大きく変化したため、日本文化の特質として説得性を失ったのだろうか。
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