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井原西鶴『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』


1688年刊の、いまで言う自己啓発本か。江戸、大坂、京を中心として財を成したり没落したりした商人の姿を描いたエッセイ集。原文もとてもリズミカルで読みやすい。話の筋は、序説と本説のバランスが悪かったり、思わぬ脱線があったりしてうねっている。それは「西鶴の作品では、近代的なリアリズムとは大分かけ離れた筋道をとることが多く、しばしば説話的な展開をとってゆく」(p.299)のであって、近代的なエッセイの構造を読み込むほうが間違っているのだろう。

この本が描かれた時代は、江戸時代の資本主義が発展していく時代。内乱の世も終わって商業が発展。例えば河村瑞賢による西廻り航路(北前船)の開発(1672年)などを発端として、大坂が貿易都市として急速に興隆する。その先に現れるのは、資本が資本を生む資本主義の世界。借金などによって資本を形成し、大きな資本を持ったものが独占的にビジネスを行い、膨大な利益を上げる。一代で分限(金持ち)に成り上がるものも、分限の二代目で親の資産を使い尽くし没落するものも。大きなチャンスが生まれていた時代。西鶴はそうした時代をうまく捉えている。曰く、「今は銀がかねを儲くる時節なれば、中々油断して渡世はなりがたし」(p.421)。だから商人である以上、命に変える以外はカネを稼ぐべき時代なのだ。
ひそかに思ふに、世に有る程の願ひ、何によらず銀徳にて叶はざる事、天が下に五つあり。それより外にはなかりき。これにましたる宝船の有るべきや。見ぬ島の鬼の持ちし隠れ笠・かくれ蓑も、暴雨の役に立たねば、手遠きねがひを捨てて、近道にそれぞれの家職をはげむべし。(p.142f)

副題を「大福新長者教」という本書は、こうした時代で富を築く方法を説いたもの。基本は、人のしないことを真面目にやったものが成功する、というメッセージだ。筒落米をコツコツと拾い集めて成功した後家の話などが典型だろう(p.175-178)。またよく出てくるのは、二代目が遊郭などの色遊びに溺れて没落する話。「二代目に破る扇の風」(p.156-162)などは、金持ちの家に生まれて世間知らずの二代目が没落していく味わい深い一品。色狂いによる浪費で勘当された二代目が、怪しい健康商品などの後ろめたいことをして凌ぎつつ、江戸で成功する「才覚を笠に着る大黒」(p.229-238)も楽しい。

ただし、西鶴は同時に運の重要性にも目を向けている。「分限は、才覚に仕合せ手伝はでは成りがたし。随分かしこき人の貧なるに、愚かなる人の富貴、この有無の二つは三面の大黒殿のままにもならず」(p.302)。いくら才能があっても運がなければ金持ちにはなれず、これは大黒様にもどうにもできないことだ。

登場する数々の商人のうち、いまでも名を知られているものはほとんどない。一人だけ、三井高平(三越の源流)の話がある。現銀掛け値なしと、どんな大きさの布でも売ったことがビジネスモデル。これも武家相手の商売が競争入札になって利益が薄くなってきた中で、新たな市場を開拓した利発によるものと評される(p.188f)。

金持ちになる方法の自己啓発本とも見えるが、才覚を発揮して金持ちになった商人に讃嘆し、道を外して没落する商人を見て勧善懲悪的に溜飲を下げる読み物のようにも見える。一つ一つの物語は短く、テンポをよくとてもおもしろい一冊。
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