Entries

富永智津子『ザンジバルの笛』


ザンジバル島の歴史と文化について。現地の国立文書館で仕事もしていた著者による一冊。学術的な趣はあまりない。記述はしっかりしていながらも軽いタッチの記述になっている。

歴史の部分は、オマーン帝国以前、オマーン帝国支配下、植民地時代に分かれている。オマーン帝国の支配下になる以前から、ザンジバル島はインド洋の季節風貿易で栄えている。ザンジバル島周辺に拡がるスワヒリ文化の起源は、シュングワヤとシラジにあると記されている。シュングワヤは現在のケニア・ソマリア国境付近を起源とする。一方、シラジはイランのシーラーズ。ザンジバル島だけで言えば、その起源はシラジに限られる(p.34f)。これらは起源というよりは、スワヒリ文化の担い手たちが自分のエスニシティのアイデンティティをどのように捉えているかであって、直接的な歴史的起源ではない。それが証拠か、ザンジバル島のシラジはスンニ派だ(イラン出自ならシーア派のはず)(p.42)。

エスニシティのアイデンティティといえば、スワヒリ文化の担い手はスワヒリ人を名乗る人が少ない。これは20世紀初頭のイギリス植民支配の際の、人口調査に理由がある。人口調査にあたってイギリスは、各民族にザンジバル島の人々を分類して記録した。もちろん、アラブ系、インド系、アフリカ本土の奴隷、アフリカ本土出身で奴隷で無い者、といった違いはあったが、それが分類され規定されたのはこの人口調査による。その時、そもそも本来の出身民族名の確認できない奴隷の子孫をすべてスワヒリ人として分類した。つまり、スワヒリ人とは奴隷の子孫であることを意味した。それが、スワヒリ人という言葉がいまも避けられる理由だ(p.134f)。シラジにあっては、人口調査で一度シラジ人というカテゴリが認められるも、その後、ほぼ否定されているようなアイデンティティの翻弄を受けている。

ザンジバル島は、ポルトガルの侵略を跳ね返したオマーン王国が首都を置いたことで大きく発展する。オマーン王国の隆盛は、3つの幸運によって可能になったと書かれている。まず、マスカトがポルトガルに占領され、そのことによって交易港として発展したこと。さらに、オスマン帝国の侵出をポルトガルが打ち破り食い止めたこと。そして、ナポレオン戦争の飛び火の英仏領国の覇権争いが、停戦条項としてオマーン王国の中立化を加えたこと。このとき、マスカトはペルシャ湾の入口にあり、インドへの貿易の要をなしていた(p.53-55)。

かくて、オマーン帝国によるザンジバル島支配が始まる。ザンジバルに、イスラームによる文明開化、ウスタアラブが訪れる。ウスタアタブについて本書はやや詳しい。統治の仕組み、経済の仕組み。特に影響力のあった商人をいくつか取り上げている。例えば、インド人豪商シヴジ一家。また、アフリカ人商人ティップ・ティプの意義を評価している。ティップ・ティプはウスタアラブの経済を支えた代表的なアラブ系スワヒリ商人。交易ルートをアフリカ内部に拡大し、ウスタアラブをコンゴ川上流域一帯に及ぼした意義がある。ただ、奴隷貿易をイスラームの観点に正当化したというポイントもある(p.91f)。

奴隷貿易はザンジバル島の主要貿易品目の一つだった。その発端は、フランス領モーリシャスでのサトウキビのプランテーションの労働需要にあるとされている(p.104f)。奴隷解放については、クウェーカー教徒のイギリスでの活動から説き起こされている。ザンジバル島での奴隷解放の高まり(奴隷たちによる活動というよりは、イギリスによる強制)は、記述にやや物足りなさを感じる。奴隷解放はその時、人々が人権意識に目覚めはじめたというより、奴隷より安い労働手段(賃金労働者)が入手可能になったという側面もあろう。

イギリスの植民地支配は、先に述べた人口調査に代表されるように、人々にアイデンティティを強いた。そのことが民族間の対立を生んでいく。こうした民族分断の矛盾が、アフリカでいち早く吹き出したのがザンジバルの独立だ(p.138)。例えば、革命期のザンジバルにおけるアラブ人とアフリカ人の対立は、イギリスによるクローブ農園救済策に端を発している(p.208-210)。これを著者は国立文書館の暗い書庫の片隅にあった資料から探り出している。ただし、革命期の混乱についてはほとんど書かれていない。本書の歴史記述はほぼ、革命前で終わっている。

歴史以外には文化面について様々な話題が書かれている。こちらは時系列的ではないし、少しエッセイ的に書かれている。レレママという日常的振る舞い(化粧とか)を元にした女性たちの踊り、タアラブという歌謡、服飾(服についての記述は多い)、イスラームや土着宗教。特にスーフィー教団などイスラーム神秘主義が、ザンジバル島にひっそりと生きている。また、レレママは女性のみで行われる踊りで、それが政治的ゴシップなどを含んだ、一種のカタルシスを伴っている。これが革命期においての、女性たちの政治参加の形だったとされる(p.149f)。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/856-5ccee727

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する