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岡田英弘『中国文明の歴史』


中国史について書かれた概説書。簡潔な記述で、黄河文明からおおよそ日清戦争までを扱っている。著者の見立てでは中国文明は三期に分かれる。本書ではその前後を合わせて5期に区分している(p.24)。秦の始皇帝による統一までの中国以前の時代(~前221年)。隋の文帝による統一までの第一期(前221~後589)。元のフビライ・ハーンによる南宋の攻略、南北統一までの第二期(589~1276)。日清戦争での敗戦までの第三期(1276~1895)。そしてそれ以降の時代(1895~)。またメインとなる第一期から第三期までは、それぞれを前期・後期に分けている。

すぐに目につくのは、中国文明が日清戦争で終わっていることだ。著者によれば、中国は日清戦争以降、伝統から断絶している。中国伝統の文明は断絶し、日本版の西洋文化を受け入れた(p.260-263)。例えば漢字についても、それまで蓄積されてきた体系が全面的に破棄され、日本製の漢字を基礎として現代漢語が生まれた。「ここにいたって中国の歴史は独立性を失ない、世界史の一部、それも、日本を中心とする東アジア文化圏の一部に組こまれなければならなかった」(p.250)。これと同じことは、中華人民共和国の文化大革命以降、1977年の鄧小平の「4つの近代化」路線にも見える。これも、日本の高度成長に触発されたもので、実質はアメリカ化、日本化だ。「中国の実質的な日本文明圏への復帰である」(p.258)。
[...]1895年以後の時代においては、中国人のアイデンティティは、日本型の文明に拠って形成されたものであったといえる。また中国人の民族意識も、日本の影響と、日本からの圧迫にたいする抵抗によって生じたものといってよかろう。これはもはや中国文明の世界ではない。日本文明の強い影響のもとに生まれ変わった、まったく新しい性格の中国とみるべきではなかろうか。(p.258f)

本書の特徴の一つは、中国、特に中国語と漢族の多様性について焦点を当てていることだろう。中国語と漢族は歴史を通じて同じ実体があったものではない。それぞれ周辺の多民族との混合によって、時には断絶しつつ姿をなしてきたものだ。それぞれの時代を通じて、ときおり著者はこのテーマに戻ってくる。

黄河文明は現在の河南省、洛陽を中心とした洛陽盆地で発達した。この黄河中流の渓谷に都市文明が発生したのは、この地方の生産力が高かったからではない。むしろ交通の障害だったからだ。洛陽盆地では黄河は安定し、氾濫の危険もなく、原始的な技術で十分に灌漑できたのだ(p.28-32)。この洛陽と中心として、中華と四夷(北狄、南蛮、東夷、西戎)という区分が生まれる。中国最初の王朝と言われる夏朝は東夷。それから、秦による統一まで四夷の支配が交代する。秦は西戎の王朝(p.41-43)。

こうして既に中国人とは四夷の人種の混合である。都市に住み着き、戸籍に登録され、夫役と兵役に服し、規定の服装すれば中国人とみなされた。つまり中国人とは民族概念ではなく、文化上の観念だった(p.58f)。文明が都市を中心としているのが特徴である。中国文明は商業文明であり、都市文明である。北緯35度線上の黄河中流域の首都から四方にひろがった商業網に組みこまれた範囲が、すなわち中国なのである(p.73)。

秦の始皇帝による焚書は弾圧的な意味合いで捉えられることも多い。本書では積極的な意味を見出している。焚書は、それまで各教団に独占されていた知識を集約し、公の機関で漢字を習うことを可能にした(p.76-78)。また統治機構としての官僚も整備された。面白いことに官僚は無給。これは秦だけでなく、中国では基本的に官僚はずっと無給だという。官僚はその地位を利用して自ら稼ぐものとされ、官僚としての給与はなかった。したがって賄賂も度が過ぎない限り認められた。清朝になって初めて、養廉銀という支給があったが、これも申しわけ程度の少額だった。官僚の収入の大部分は、田租を取り立てた残りだった(p.65-68)。

184年の太平教信徒による黄巾の乱以降が第一期の後期。ここから三国志の時代、五胡十六国の時代に入る。著者によるとこの時代、中国の人口が激減する。その数は500万人ほどであって、これは以前の10分の1。事実上、漢族の絶滅を意味する。それまでの漢族はここで断絶し、以降の漢族は他民族の変じたものとなる。例えば元の時代に人口が増大するが、これは移民によるもの(p.148f)。ただし清朝での人口爆発は、アメリカ大陸からもたらされた、トウモロコシ、じゃがいもなどの高カロリーの穀物の生産による(p.236-238)。なぜか、この黄巾の乱以降の人口激減の原因が本書には見当たらない(p.90-96)。

漢字の統一について、陸法言の『切韻』の成立(601年)が挙げられている。これは各地方の漢字の発音を収集し、標準的なものに統合した。その後の発音分類の基礎となっている。607年に始まる科挙も、こうした統一的な基礎があったからこそ可能となった。ただし著者は、これら中央で作られた発音が地方ごとに残った口語の差異に注目している。中央で制定された漢語は、口語的な語彙を圧迫し、情緒的な語彙の発達を阻害したと評価する(p.103-108)。

明の時代については、元の時代の遺構を多く引き継いでいることに注目。軍戸と民戸の区別や、10進法による指揮系統はモンゴル帝国の伝統を引き継いだもの(p.178-180)。特に永楽帝が北京に都を移してからは、漢人以外の登用が多く元朝の復興のようなものだった(p.186f)。

本書は特に周辺との戦いや内乱などで、人名・地名の列挙が多い。そうした出来事の原因が表面的なものではないところでどこにあるのか、歴史的にどういった意味を持つのかがいまひとつ見えない。戦いの細かい経緯はなどは省き、もっと中国人・中国語といったテーマにフォーカスしたほうが読みやすかっただろう。例えば気になったのは、清朝における新疆省と台湾省の設置による、直接統治への転換。これが漢族による支配、国民国家の道へ至り、現代におけるチベット、ウイグルの反発はこの結果である。しかし、なぜそれまでの伝統的な関与ではなく、直接統治を選んだのかについての理由はない(p.245-247)。
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