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加地伸行訳注『論語』


原文、読み下し文、訳文と解説つき。昔一度読んだけれど通読できなかった。今回はあるきっかけで読みはじめて、通読することができた。ある程度の年齢や経験を重ねていないと、何を言っているのかよく分からない本なのだろう。

基本的には国のリーダーなど君主格の人に対して、民衆にどう接すればよいかを扱っている。ただし、本書では君子は教養人と訳され、単にリーダーにとどまらない広い意味を与えようとしている。聖人君主の理想として、部下、民衆には礼をもって接することが説かれる(p.34-36, 71, 88f)。その礼を、周の武王とはじめとする古来の聖王に模範を求める(p.68, 145, 186f, 240)。君子の備えるべき要素は恭(恭順な態度)、敬(地位や年齢の高いものへの敬意)、恵(民衆を富ませること)、義(公平な態度)とする(p.110)。また、知(知識)、仁(道徳)、荘(余裕ある態度)、礼(礼儀)ともある(p.370)。

君子にあっては礼が基調とされるが、仁はもう一つの基調をなしている。仁は古来に理想を求めた道徳の規範。年上の人間を敬う孝弟を基本とする(p.18f)。仁とは、人が両親を愛するように他人を愛すること(p.288)であり、利己をを克服し、規範を実践すること(p.269)。そのためには何よりも、実際に仁なる者と付き合うことが大事(p.141f, 358)。ただ、仁でありたいと思えばもう仁であるという、仏教の発心直到のような言葉もある(p.165)。仁の要素は、恭(恭順)、寛(寛容)、信(言行一致)、敏(行動に移す早さ)、恵(惜しみなく与えること)だと言う(p.395f)。

何よりも行動すること、実践することを重視している。君子はまず行動し、その後になってその行動を説明するものだ(p.43, 47-49, 94, 336)。君子のみならず、青年についてもまず忠孝を実践し、その後古典を学べとする。行いさえ出来ていれば学のある人間と言える(p.22-24)。現実的な態度は、悪政に対してことさらに声を上げないところにも見える(p.317)。肉親を守るために嘘をつくべき話も、カントの道徳律の議論と対照して現実的な態度と見えよう(p.305)。

知らないことは知らない、分からないものは分からないとすることが規範とされる(p.293, 450)。それぞれの人間があるべき姿に収まり、矩を超えないこと。自らが発言すべき立場でなければ、口出ししてはならない(p.335)。父母の意見がコントロールできないときは、敬して説得することを諦める(p.91)。また論語が神などの超自然的対象について語らないのも、分からないものは分からないとしておく、ということに関連している。鬼神は人の理解できるものではないから、敬して遠ざけておく(p.136f, 150, 157, 249)。死後の世界の話も同様。まったく関心の外に置いているわけでもないが、論じる対象ではない(p.249f)。

単に知っている人よりも、好きでやっている人が勝り、好きでやっている人よりも楽しんでやっている人が勝るともある(p.135f)。こうして後世からまとめられたものを読むと堅苦しい規範にも見えるが、それを楽しんで身につくことが大事であろう。ちなみにこの箇所(雍也20)を著者はだいぶ堅苦しく訳読している。

引用を二つ。
子曰、不患無位。患所以立。不患莫己知。求爲可知也。(里仁14, p.89; p.33, 338, 363)
子曰、飯疏食飮水。曲肱而枕之。樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲。(述而15, p.152f)
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