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リチャード・クック『ブルーノート・レコード』


ジャズのレーベル、ブルーノートの歴史。時代や他のレーベル、ジャズ全体の流れなどはあまりなく、ブルーノートの話に専念している。それは、ひとつにはブルーノートの歴史はジャズそのものとは言わないまでも、大部分を占めているから。また原題にあるように、本書はディスコグラフィー。ブルーノートが出した主なレコードを辿りつつ、歴史を語るもの。

自分はジャズはよく聴くが系統立って聴いていないし、あまり歴史も知らない。なので主要な歴史や、この本で高く評価されている未聴盤を知ることができた。ただしブルーノートに限定されているので、例えばマイルスやコルトレーン、ジャレットなどの話はごくわずかしか出てこない。代わりにホレス・シルヴァー、アート・ブレイキーなどが頻出している。

物語はブルーノート創立者のドイツ人、アレフレッド・ライオンとフランク・ウルフから始まる。ニューヨークのコモドアという、特定のレーベルの系列店ではない独立のレコードショップが、ジャズのコアなファンを引きつけていた。ベルリンでジャズにはまっていたライオンもその一人。趣味が高じてやがて1939年1月6日、ライオンはブルーノートとして初録音を行う。奏者はアルバート・アモンズとミード・ルクス・ルイスという二人のピアニストだった(p.26-30)。当時はホット・ジャズの時代だったが、やがてビ・バップに時代は展開する。ブルーノートにおいては、1947年10月15日のセロニアス・モンクの録音がその端初とされている(p.48-51)。ただし、ビ・バップの圧倒的なブームと並行して、従来のスタイルのジャズも録音されて続けた。シドニー・べシェの録音がそれだ(p.69-71)。時代を追いつつも、よいものはよいとする姿勢がブルーノートを貫く。

本書には奏者以外の話はあまり出てこない。ただしレコードジャケットの写真家たちや、録音技師のヴァン・ゲルダーの話が出てくる。録音技術の進化は例えば、ベースの低音の歪を解消した。それまで低音はうまく録音できず、ベースの代わりにギターが使われていた。こうしてピアノ、ベース、ドラムスというモダンジャズの中心をなすピアノトリオの形が可能となった。1950年代、ウィントン・ケリーのピアノトリオなどはこうして登場する(p.86-88)。

1953年から54年はブルーノートのスタイルを形づくる特徴の多くが確立した時期とされている(p.105)。いまでもよく聴かれるブルーノートの奏者、バド・パウエル、J.J.ジョンソン、マイルス、アート・ブレイキー、クリフォード・ブラウンなどがこの時期に録音している。とはいえ、ブルーノートの経営が安定していたわけではない。小さなレーベルは経費を賄うにも精一杯。そこにホレス・シルヴァーのクインテットがヒットを飛ばし(p.124-130)、またジミー・スミスが大いに売れ(p.173)、会社は存続した。

こうしたブルーノートの隆盛は、ライオンとウルフがドイツ移民だったことと関係するかもしれない。アメリカ社会で生まれ育ったのではない二人には、黒人音楽にはよく分からない。だから奏者には好き勝手にさせていた(ただし違う意見もある)(p.198f)。またブルーノートは他のレーベルに比べて、録音前のリハーサル期間を長く設けていた。その他にもマネジメント上の強みがあったのではないかと思うが、そうした側面の分析は本書にはない。

この後の1960年代はモード・ジャズの時代になる。多くのレーベルが活躍する時代。ブルーノートには一度、録音しなくなっていたアート・ブレイキーが帰ってくる。彼のジャズ・メッセンジャーズは最盛期を迎え、このクインテットはライバルたちに大きな脅威となった(p.254-260)。続いてジャズはフリーの時代へ。ブルーノートにおけるフリージャズの新しい波は、1962年3月のジャッキー・マクリーンのアルバム『レット・フリーダム・リング』から始まる(p.277-290)。それまでのジャズを率いてきたライオンには一見意外ながらも、ブルーノートはフリージャズを取り込んでいく。

しかし1964年、ブルーノートに危機が訪れる。それは意外にも売上減ではない。逆に、リー・モーガンの『サイドワインダー』とホレス・シルヴァーの『ソング・フォー・マイ・ファーザー』がもたらした、空前のヒットが危機を招く。ヒットによる流通販路の拡大。注文が殺到したのでレコードは増産したが、売掛金の回収が追いつかない。売れなかったレコードは卸売業者から返品されたので、実売数も時間が経つまで把握できない。小さなレーベルは後方事務が破綻していった(p.311-316)。疲弊したライオンはリバティー・レコーズへの売却を決断。1967年7月28日、スタンリー・タレントンが当時流行のポップスを録音したのが、ライオンが指揮した最後となった。しかも結局発売されなかった。一方、盟友のウルフはブルーノートを続けた(p.328)。しかし1971年3月8日、ウルフは心臓発作で死去。

1971年から1979年にかけては、ブルーノートは進む方向を模索してもがいている(p.341)。ECMが見出した、1970年半ば以降のロフト・ジャズは、アレフレッドとフランクなら見いだせたはずだ。当時のブルーノートには無理であり、この時代ブルーノートは役割を終えていた(p.347f)。

新生ブルーノートは、ブルース・ランドヴァルが1984年にトップに就任してから。1985年2月22日の、ブルーノート関係者が揃ったコンサート「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」はそれを象徴する。ホレス・シルヴァーが出演を拒んだ経緯は書かれていない(p.358-361)。スタンダードナンバーの回帰などモダン・ジャズの復権、レコードからCDへの移行に伴う大量の再販と新たな聴き手の獲得により、ブルーノートはいま我々が知る形となった。
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