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吉田洋一『零の発見』

零の発見―数学の生い立ち (岩波新書)零の発見―数学の生い立ち (岩波新書)
(1986/11)
吉田 洋一

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気軽な数学史読み物。「零の発見」と「直線を切る」からなる。前者はインドでの0の発明を中心に、数字記法の歴史を巡る。その後、無限小数と対数の話へと続く。後者はピタゴラスの三平方の定理の背景と、発展。無理数の発見からデテキント切断による実数の定義を解説する。

きわめてすっきり書いてある。とても読みやすい。しかも深い。著者はポアンカレの科学哲学方面の本を訳していることでも有名な数学者。歴史や思想にも深い知識があることが見て取れる。単なる数学史的記述には終わらず、文化的記述でもあるところが好ましい。

例えば、日本や中国でソロバンがいまでも普及しているが、ヨーロッパではソロバンと言えば古代ローマの遺物でしかない。著者はこの理由の一点をソロバンの「使いやすさ」に求めている。つまり、日本のソロバンはすべりの効いた竹串を使っていて、また検算用に多くの桁を用意しているなど、使いやすい。一方、ヨーロッパのソロバンは金属を掘ったもので、桁も少なく、使いにくい(p.38ff.)。また、対数を用いた自然数の積と和の変換(log(n*m) = log n + log m)が、対数尺によりケプラーやガリレオの計算をいかに容易にしたかについての指摘は、なるほどと思わされた(p.80ff.)。

また、定規とコンパスによる作図にこだわったギリシャ人の話が面白い。著者は、これをゼノンのパラドクスから見ている。ゼノンのパラドクスにより、幾何学的図形が大きさを持つ有限の点からなる、とは言えなくなった。点は大きさを持たなくなったのだ。しかし、我々が見るものはすべて大きさを持った点である。したがって、どんな幾何学図形が存在しうるかは、実際に書くことによってではなく、違う手がかりが必要とされる。だからこの定規とコンパスは単なる作図ではなく、ユークリッドの公準の意味での直線と円である。定規とコンパスで書けるというよりは、何よりもそれがユークリッドの公理から導き出される、ということなのだ(p.148ff.)。

小さい本ながら、深い味わいに満ちた名著である。著者の見識の広さがうかがわれる。いまの数学者にこういう本がどれだけ書けるだろうか?
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