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納富信留『哲学の誕生』


ソクラテスについて。プラトンの対話篇に現れれるソクラテスを中心に書くのではなく、同時代においてソクラテスがどう捉えられていたのかを中心に据える。ソクラテスと言えばプラトン、アリストテレスと並んで古代ギリシャの偉大な哲学者。しかしその偉大さは後世の評価。その後世の視点からソクラテス、プラトン、アリストテレスを評価しても、それは彼らを巨人として扱ってきた西洋哲学の伝統から見ること。よって、結局は巨人としての姿しか見えない。重要なのは同時代の思想において評価すること。それにより別の姿が見えてくるはずだ(p.63f)。

本書にはソクラテスについて言われることのうち、有名な事柄をひとつずつ検討する。ソクラテスの死、哲学の始まり、ソクラテス文学(ソクラテスの言説について書かれたもの)、ソクラテス裁判、同時代や弟子への影響を代表してアルキビアデスについて、そして日本でのソクラテス受容(とくに「無知の知」について)。

ソクラテスと哲学の関係については、本書のメインテーマ。示唆の深い論述がされている。従来はギリシャ哲学について、ソクラテスを分岐点としてソクラテス以前・以後という言葉遣いがなされた。しかしソクラテス以前という区切り方は、ソクラテス以前の哲学は自然の探求であり、ソクラテスにおいて人間や倫理に目を向ける哲学探求が始まるという先入観によるもの。それは自然の探求を二流の哲学とみなしている。この先入観はソクラテスと時代が前後する思想の位置づけを困難にする。ソクラテス以前にも人間や倫理に対する探究がある(ヘラクレイトスやエンペドクレス)。逆にソクラテス以後にも自然の探求がある(デモクリトス)。さらには、同じく倫理や政治について議論したソフィストを哲学の始まりから排除してしまうことになる(p.54-59)。

ソクラテスを哲学の始まりに位置づけたのは、何よりもプラトンだ。ソクラテス裁判からその処刑までのソクラテスを扱ったプラトンの『パイドン』を、著者は見事に読み解く。この対話篇の場所設定はアテナイではなく、フレイウスという小さな町。なぜフレイウスなのかというと、ここはピュタゴラス派の故郷であると同時に、何よりもピュタゴラスがこの地で哲学者を名乗りだしたからだ(p.18-27)。つまりプラトンはみずからの哲学を位置づけるため、ピュタゴラスの哲学が誕生したフレイウスで、ソクラテスという哲学者の死を語らせている(p.36-41)。

プラトンのソクラテス対話篇はソクラテスの言行録というよりも、読むものを哲学の現場へ連れ出す。同じくソクラテスについて言行録を残したクセノフォンとの対比が参考になる。クセノフォンは基本的に、ソクラテスの言行を再現して人々にその模倣を薦める。一方でプラトンはソクラテスの問いの現場そのものを想起させ、普遍的な答えへと人々を導いている(p.122-129)。

とはいえ、プラトンとクセノフォンのどちらのソクラテスが「正しい」のかというのは愚問だ。ソクラテスにまつわる言説は基本的にはすべてが創作である。プラトンだけが対話篇の時代考証に正確(p.112f)とはいえ。ソクラテスについて言説を残したアリストファネス、プラトン、クセノフォン、アリストテレスのどれが正しいソクラテスか、といういわゆる「ソクラテス問題」は誤った問題である(p.129-136, 182-191)。しかもこれら著者は同時代ではない。アリストファネスはソクラテスの同時代人。プラトン、クセノフォンはソクラテスの死後、ソクラテスについて書物を残した「ソクラテス文学」の人々(他にはアリスティッポス、アンティスエテネス、パイドン、エウクレイデス、アイスキネスが挙げられるが、その書物は散逸)。アリストテレスは、アリストクセノスと並んでそれらソクラテス文学の影響下でソクラテスについて物している。

ソクラテス裁判の背景として、アテナイの30人政権が扱われている。紀元前404年にペロポネソス戦争でアテナイがスパルタに敗れ、降伏する。その後、アテナイではクリティアスを中心とする親スパルタの30人政権が成立する。30人政権は恐怖政治を敷いたという。1年後には反対勢力が盛り返し、アテナイで民主政が復活する。ソクラテス裁判はこの4年後、紀元前399年のこと。ソクラテスはこうした政変において当事者を弁護する裁判で活躍している。ソクラテス文学の始まりは、ソフィストのポリュクラテスの議論力顕示に応えたソクラテスだ。クセノフォンは直接に応答する様を描き、プラトンは暗示するのみ(p.151-165)。30人政権のクリティアスはプラトンの母方の従兄であり、ソクラテスとも親しかったという。民主政に変わった後のアテナイでは、駆逐された旧勢力と親しかったソクラテスの立場は、もともと弱かった。

このアテナイの政変とその背景を巡って、アルキビアデスという人物が魅力的な動きをする。この人物は野心家で敵に寝返ることも多く、毀誉褒貶が激しい。アルキビアデスはソクラテスの弟子だったとも言う。しかしアルキビアデスを扱った章では、アルキビアデスそのものの記述が多く、焦点がややぼけている。ソクラテスとの関係についても、そしてそれがアルキビアデスや、その後のアテナイでのソクラテスの立場にどんな影響を及ぼしたかについても、やや不明瞭。アルキビアデスとソクラテスについて何が書きたかったのだろう。アルキビアデスとソクラテスの愛(エロース)の関係なのか、ソクラテスに惹かれつつも離反するアルキビアデスの姿なのか。

ソクラテスの日本受容については、何よりも人口に膾炙した「無知の知」をソクラテス哲学の要諦を表すものとすることに疑義が呈されている。「無知の知」からソクラテスを理解することは、完全に誤りであり、さらに害のある誤りだと言う。これはとても参考になる。

「無知の知」への批判は3つ、文献学的、哲学的、歴史的なもの(p.274-307)。文献学的にはそもそも、「無知の知」に相当する表現はプラトン対話篇にはない。あるのは「知らないと思っている」「知らないと自覚している」という表現であり、知識と信念を混同してはならない。ソクラテスより賢いものはいないという有名なアポロンの神託も、ソクラテスに他の人が持たない知恵を帰しているのではない。知らないことを自覚していないのが無知(amatia)、知らないことを自覚しているのが不知(agnoia)であり、この二つの混同が誤解を生んでいる(p.293f)。つまり自分がもつ知識についての透明性の話。

哲学的には、『カルミデス』で無知の知がソクラテスにより批判されているとする。とはいえ、著者の展開するこの議論は読みにくい。『カルミデス』での議論をもっと展開しないと説得力がないだろう。自分を知らないと明言しているなら、積極的にむしろ無知の知が帰属できるのではないだろうか。知識でないにせよ自覚もまた「知っている」と言われうる。また「知らないと思っている」という一方で、当人が本当に知らなかったら、知識とは真なる信念であるという定式のもと「知らないと知っている」と知識を帰属できるだろう。さて、自覚を知識と呼べるのかどうか。また著者はアポロンの神託に関連して、本当の知は神にしかないということを何度も取り上げる。しかしこれに固辞するなら、人間の知識という議論が一切成立しなくなってしまう。

歴史的な経緯としては、明治期以降の日本でのソクラテス受容においては、ソクラテスを教師、知あるものとしたから、他の人にない「無知の知」という知識を帰属したのだろうと書かれている。著者が無知と不知で区別した、知識とその自覚の区別はストア派ですでに消えている。やがてキリスト教哲学の否定神学の流れで「無知の知」といった表現が定着する。日本ではクザーヌス的な否定神学とソクラテス哲学が結びついて受容されているという見立て。
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