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ジャック・ル=ゴフ『中世とは何か』


西欧中世の歴史研究家のインタビュー。ちなみに著者は「中世」という言葉を西欧以外の時代区分に使うことに疑問を呈している。インタビューワーに答えて、自分の研究史や、研究における主要主題について語っている。会話なので平易では在るが、精緻な論証などはない。話題が薄く次々と移っていくので、あまり印象は良くなかった。

西欧中世への見方は、ルネサンス期に先立つものとしての暗黒の中世と、カトリックによる統一のもとにあった黄金の中世という二つの見方がある。暗黒の中世観の流布に寄与したのはペトラルカ。黄金の中世の方は、シャトーブリアンなどフランス革命後の人たち(p.24-30, 77f)。もちろん、黄金の中世とは暗黒の中世の裏返しにすぎない。そのような後世からの視点ではなく、それ自体としての中世を著者は探ってきた。著者によればむしろ、史料の欠乏している古代、過剰な近現代と比べて、中世と16世紀はほどよいものだという。逆に、近現代には新しいアプローチ、問題意識を採用すべきではないかと提言する(p.56-61)。資料に頼りすぎることの戒めは、第二次世界大戦においてレジスタンスを展開した人々の生々しい生き方を経験したことから来るという(p.39)。

中世とルネサンスを区別したのはブルクハルト。彼が中世に蒙昧という性格付けを与えた。かくして歴史は進化となり、近代は進化の最終形態となる。これは国民国家の起源探しと関連している(p.80-85)。けれども、歴史は連続した流れである。同時でない一連の変化が、歴史の進展を画していることもよくある。どんな変化も、ただ一つの日付、事実、場所、活動領域に帰着されることはない(p.71-, 86-90)。このあたりはアナール学派らしいところか。

むしろルネサンスも中世に含める。中世には3つのルネサンスがあるとする。それらは、カロリング朝ルネサンス、12世紀ルネサンス、いわゆる15-16世紀のルネサンスの三つ(p.91-112)。ルネサンスは古きものの再生であって、新しいものの創造ではない。中世において、新しいものとは恐怖の対象であり、非難の言葉だ。古くからの考え方を再生することにこそ、中世は価値を置いていた(p.92-94)。中世と近代の断絶は、決定的には16世紀にある。16世紀には、宗教という概念が初めて登場する。それまではすべてが宗教のうちにあって、宗教を相対化して捉える必要すらなかった。宗教という概念の誕生は、中世との本当の断絶を示している(p.107f)。

著者のテーマの一つは、中世における商人と知識人の成立にある。俗世において金銭を稼ぐことは、それまでは評価されていなかった。その役割は多くユダヤ教商人によって担われていた。12世紀に、キリスト教徒商人が隆盛する。その正当化の理由としては、労働の対価としての金銭、東洋と西洋の間の国際貿易を担う有用性、芸術(技術者から芸術家へ)の庇護などがある(p.141f)。

身体的なものへの着目も面白い。商人の隆盛と合わせて、現世的なものへの関心が強まっていく。この世界における身体はその象徴的な例だ。神の表象も、当初の天なる父から、中世ではこの世界における子に移る。中世においては、人間の身体は神の似姿として位置付けられる。この視点は、宗教改革において聖霊に移る(p.246-248, 274-276)。時空的位置づけをもたない天国と地獄に対して、時空を位置づけられる煉獄の登場も、これに関係するだろう。中世は時空管理から理解することができる(p.197-200)。ただ、自然の中の人間の身体への着目が、自然でないとするものへの迫害を生んだことも忘れてはならない。同性愛者、ユダヤ人に対する迫害だ(p.256-259)。

他にも聖体拝領、暦、教会法、十字軍、天使と悪魔といったトピックについて語られている。
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