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坂井豊貴『多数決を疑う』


名著。社会的選択理論について分かりやすく語った入門書。社会的選択理論は高度な数学に支えられている。本書は数学的ディテールに踏み込むことはない。しかしその雰囲気や、ここから先に踏み込んだら数学的に厳密な世界が待っている一歩手前まできちんと導いていく。

タイトルにあるように、本書は多数決以外の不公平の無い決め方を巡っている。多数決は現代の社会で標準的なものとされる。多数決で示された結論が「民意」とされたりする。しかし多数決は明らかに、少数意見を切り捨ててなるものだ。さらに何度か出てくる2000年アメリカ大統領選挙のように、第三者(ネーダー)の登場でゴアの支持票が割れ、下馬評と違ってブッシュが勝つ、といった事例も生まれる。投票パターンをそれぞれペアで比べるとどのペアでも勝てない候補が、全体では勝ってしまうといったパラドクスの形で定式化することもできる。
多数決ほど、その機能を疑われないまま社会で使われ、しかも結果が重大な影響を及ぼす仕組みは、他になかなかない。とりわけ、議員や首長など代表を選出する選挙で多数決を使うのは、乱暴というより無謀ではなかろうか。(p.177)


話は18世紀フランス革命期のボルダとコンドルセから始まる。ボルダの提案した集約ルールとは、各人が一票ではなく三票を持ち、1位に3点、2位に2点、3位に1点を入れるもの。点の付け方が異なるスコアリングモデルは数多くある。スポーツのリーグ戦などではよく使われている。しかしボルダルールは、選択肢ごとにペアとした時にどれでも負ける(ペア敗者)のに全体では一位となるような事態を防ぐ唯一のルールだ(p.11-16)。政治選挙の世界でも、スロヴェニア、ナウル、キリバスで実際に適用例がある(p.19-22)。ボルダルールのもとでは、自身と似たような選択肢を設けて対立候補の票を奪うクローン問題が起こるのが問題だ(p.23-26)。

コンドルセがボルダルールの強力な批判者としてある。例えば3つの選択肢がXよりY、YよりZ、ZよりXが勝るという、じゃんけんのようなサイクルが生まれる事態がありうる(コンドルセのパラドックス)。コンドルセの解決法は、4つ以上への選択肢の場合に一般化したペイトン・ヤングにより、最尤法として解釈された(p.39-47)。とはいえ、ペア勝者規準とペア弱敗者規準といった選択肢をペアにした時の性質や、棄権すると結果を操れるといった棄権へのロバストネス(棄権防止性)、そしてスコアリングモデルの分かりやすさから、コンドルセルールよりもボルダルールがいいとしている(p.58-60)。

しかしながら、どれが勝っているという問題ではない。マルケヴィッチの反例が示すように、集約の方法が変わればすべて異なる勝者が選ばれる事態もある。集約ルールが変われば民意は変わるのだ。私たちにできるのは民意を明らかにすることではなく、適切な集約ルールを選んで使うことだけだ。票が割れやすい状況ならば多数決は誤った結論に導くおそれがある。どういう状況なのかに応じて、集約の方法は設計されるべきなのだ(p.47-50)。

続いて、多数の意見を集約すべきなのはそもそもなぜかという問題をめぐり、ルソーの一般意志が扱われる。それまでの様々な状況に対してどのように対処する集約ルールがあるのか、という話からは少し外れる。ただ、そうした発想の根幹にある思想だということだろう。

さらに、選択肢が全順序で並ぶような単峰性があるときには、中央値を取るのが最適だという中位ルールの話(p.100-108)。そしていわば本書の中核でもある、アローの不可能性定理へ入る。通俗的には民主制が不可能であることを示したとも曲解されるこの定理を、著者はここまでの準備をもとにきちんと議論している。結局、アローの不可能性定理が教えるのは二項独立性という条件の不可能である。これは先に述べたアメリカ大統領選挙の例のように、他の選択肢が入り込むとペアで見たときと順序が変わってしまうことが起こらない、という条件だ。他の一切の選択肢から独立であるという条件であり、そもそも過度なまでに厳しい条件と著者は言う。アローの不可能性定理は、二項独立性という厳しい条件(と、すべての人がある選択肢を選んだら、実際にそれが選ばれるという満場一致性)を満たすのは独裁制しかないということ。一般的に民主制の不可能性が示されたということではない(p.121)。だとすると、二項独立性という過酷な条件を考えることのモチベーションがよく分からない。

単峰性が成立しないケースでも、64%の多数決があればサイクルは発生しないというカプリン、ネイルバフの結果も興味深い。これが凸多様体の理論を援用して導き出されていることも。それは単に高度な数学理論による結果にすぎないのではない。単峰性が成立しない、すなわち選択肢が単一の全順序で測れずに多元的である場合、例えば特に日本国憲法の改正などでは、現在の有権者の過半数の賛成を求めるのではなく、64%以上の人の賛成を求めるべきなのだ(p.129-135)。

最後には、小平市の都道328号線問題のように、そもそも多数決を含め票決さえ取れない問題にどう対処するかを扱う。これはメカニズムデザインと呼ばれる問題圏。各人が各政策案の便益を金額で評価して金銭移転を行う、クラークメカニズム。いわば、政策へのオークションであり、オークション理論と類比する。

社会的な意見の抽出、ある種の平等性の確保が数学的に議論できるのが、社会的選択理論の魅力だ。著者も書くように(p.162-164)、周波数オークションではこうした理論に従うことの利点が明らかであり、OECD各国も取り入れているのに、日本ではTVメディアやそれを受けた自民党の既得権益者の妨害にあり進まない。きちんとした専門家による、こうした決め方のデザインが求められる。選挙でボルダルールを取り入れるなどとてもいいだろう。
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