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岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』


なかなか良書。主に2000年以降の哲学の潮流を紹介しようとしている。第一章はポストモダン以降の哲学の流れについての概観。第二章以降はトピックごとに、様々な人の思想的見解を紹介している。ビッグデータ/AI、バイオテクノロジー、資本主義、宗教、環境問題。

第一章がよくまとまっていてとてもよい。現代哲学は言語論的転回によって始まったとはローティーの定式化。ポストモダンを受けたその後、3つの転回があるとしている。自然主義的転回、メディア・技術論的転回、実在論的転回。この定式化はとても分かりやすい。だが、この先の個別トピックの章では3つの転回の話はまったく出てこない。自然主義的転回は例えば宗教、メディア・技術論的転回は環境といったところに何となく連想させるものがある。実在論的転回にいたっては何も出てこない。この統一感の無さはちょっと残念。

個別のトピックについても2000年頃までの議論状況と、その後がよくまとまっている。特にバイオテクノロジーと人間の終わり、資本主義における自由、脱宗教化、環境倫理学といったところ。哲学の面白さはラディカルな問いかけにある。ボストロムのトランスヒューマン擁護論(p.132-134)、ペンスのクローン人間擁護論(これに対するハバーマスのnatalityに基づく批判は、アリストテレス古来の自然と人為の区別への保守的態度にしかみえない)(p.139-146)など。不死に関するジョン・ハリスの議論は、不死に反対する議論を不公平世、人生の退屈さ、人格の同一性の欠如、人口過剰、健康維持費用の増大の5つに整理している(p.152-155)。相手の議論の論拠を明らかにしていくこうした議論こそ哲学的。本書はやや、こうした議論状況をその前提や論拠から整理する視点が欠けているように感じる。

ほかには、キャリコットのポストモダン化した環境倫理は、ポストモダンの潮流が終了した現在ではあまり未来がないという評価(p.298-301)に賛成しつつも、ネグリ・ハートの帝国は何を指すのか曖昧であり、どんな敵と戦えばよいか不明との批判(p.199-202)は違和感を持つ。まさに誰と戦っているか分からないのが帝国のポイントであるような。

どうやら著者はあまり科学には明るくないのか、AIやバイオテクノロジーに関するところでは議論が薄っぺらい。AIについては一通りのシンギュラリティの議論をサーベイ。技術的に何が可能なのか、ポイントは何なのかはなにもないまま、無理矢理に啓蒙の弁証法を出して終わる(p.119f)。とてもチープな論じ方(これは著者に限らず、シンギュラリティの議論はだいたいこんな感じ)。例えばAIの問題はシンギュラリティなんて遠い未来の空疎な問題より、データに自然に含まれる我々のバイアスが、それを学習したモデルで客観化されてしまうとか、いまそこにある問題があるのに。バイオテクノロジーの話も結局はそれがもたらす倫理や人格の同一性の話に帰着している。

つまり現代の科学それ自体が提示する豊富な哲学的問題には、何一つこの本は触れていない。個別科学の哲学、あるいは科学哲学には。哲学とは概念を創造し問いを作り出す営みであり、概念創造あるところ哲学がある。例えば暗号通貨がもたらす哲学的問題には、信頼や合意とはなにかというものがある。PoWやPoSといった、ビザンチン将軍問題に対する暗号通貨のメカニズムは、それ自体、合意という概念に対する哲学的問いを投げかけているように思えるが、本書にはそうした視点はない。

本書は「いま世界の哲学者が<社会問題について>考えていること」なのだろう。そう見ると何やら狭い範囲の話に思える。実在論的転回について扱えていないのも頷ける。哲学は社会問題なんて狭いものに限定されるべきではなかろう。
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プロフィール

坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。
しかし博士号は取らずPh.D. Candidateで進路変更。
哲学と特に関係なくIT業界に住んでいる。

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