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千葉潤『ショスタコーヴィチ』


屈折した作曲家ショスタコーヴィチについて、その生涯と作品を概観した入門書。ショスタコーヴィチの音楽は相当に複雑だが、謎解きのように面白い。ソビエトで国民的な人気を誇ったショスタコーヴィチは、スターリンを始めとする体制との妥協に満ちている。一見して体制に迎合したように見える音楽にも様々な仕掛けや裏切りがある。迎合した作品とは別に手元に留め置かれた私的な作品がある。また、数多くの映画音楽がある。「いつになっても、ショスタコーヴィチの創作の糧は、やはり風刺とパロディだった」(p.138)。

ショスタコーヴィチの生涯を誕生から丁寧にたどりつつ、各作品とそれに込められた意味を探っていく。生涯の概観とは別に、交響曲、弦楽四重奏曲、オペラについては全曲の解説がある。ペトログラード(後、レニングラード、現、サンクトペテルブルク)生まれのショスタコーヴィチは幼い頃から、驚異的な初見力と暗譜力があった。そうした才能と、作曲の音楽性をグラズノフが認め、ペトログラード音楽院に13歳で入学する(p.16)。ただ、グラズノフはショスタコーヴィチの音楽を気に入ってはいないところが面白い(p.27)。自分の次の世代の天才が登場したことを素直に認めたということだろう。

交響曲第1番の大成功(1926)でショスタコーヴィチは一躍、ソビエト音楽会の寵児となる(p.34f)。次のターニングポイントはオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1934)だろう。いくつもかのオペラの失敗作の後、このオペラでショスタコーヴィチの名声は頂点に至る。その音楽はオッフェンバックのオペレッタ、ムソルグスキーの民衆劇、ワーグナーの重厚な管弦楽法、ベルク風の表現主義などのユニークの混合物。しかし猥褻な場面を含むこのオペラがプラウダ批判(1936)の対象となる(p.57-62)。ここからショスタコーヴィチの苦悩は深まっていく。プラウダ批判に続く、親類や友人たちの追放や粛清。交響曲第4番は初演前にして中止させられる。交響曲第5番(1937)の大成功によってショスタコーヴィチは復活するが、そこに込められた引用とアイロニーはスターリン体制への反逆を含むと解釈される(p.80f)。

第二次世界大戦後にも『マクベス夫人』は再び、ジダーノフ批判(1948)のやり玉に上がる。しかしジダーノフ批判のあと、なぜスターリンは1949年に演奏禁止を撤回してまでショスタコーヴィチをニューヨークの世界平和文化科学会議に連れて行く。ここは何の解説もなく、ちょっと物足りなさを覚える(p.121f)。

死後の評価では若干のページを割いてヴォルコフの証言と、それがもたらした呪縛について書かれている(p.178-182)。ソビエトの体制的音楽家として見られていたショスタコーヴィチを、反逆者の側面も持つ二重言語の使い手として描いたヴォルコフの本は真偽について論争が多い。いまでもショスタコーヴィチが何を考えて、何を託して作曲したのかは読み解くのが難しいだろう。

初演撤回のまま隠された交響曲第4番、胡散臭いほど勝利を歌い上げた交響曲第10番、理解者ソレルチンスキイの死と重ねて書かれた時代へのレクイエムであるピアノ三重奏曲二番、遺作となったヴィオラ・ソナタあたりをじっくり聴いてみたいと思った。また、1930年代の初めからサッカーにのめり込み、サッカー台帳を作成、そのデータ分析は専門家からも一目置かれていたなんてエピソード(p.82)も面白い。
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竹内繁樹『量子コンピュータ』


読者に何とか分かってもらおうという著者の思いが伝わってくる名著。量子コンピュータの面白さと分からなさを知るには、これが一番だと思う。きわめて平易な語り口をしていて、数式も控えめながら、書かれている内容はハード。量子力学の基本的な解説、確率波と重ね合わせから始まる。量子コンピュータのアルゴリズムとして、ドイチュ・ジョサ、グローバー、ショアのアルゴリズムを何とか逃げずに解説する。量子コンピュータを物理的に実現するための様々な試みを紹介。そして量子暗号について述べる。

ビームスプリッターや半透鏡の光子への作用を中心に解説される量子力学の基本原理。偏光ビームスプリッターを使った不確定性原理の解説(p.58-63)は秀逸。干渉計を例にした光子の状態の重ね合わせと位相の解説(p.69-72)も、分からないところはあれど、まったく手応えを失ってしまうという感じにはならない。量子ビットの重ね合わせは球体上の緯度経度を使って解説される(p.103f)。これはとてもよいと思う。

アルゴリズムの解説の山場はショアのアルゴリズム。通常とは違う因数分解のやり方から、量子フーリエ変換の話に帰着させている。核となるアイデアだけをうまく取り出してきている。量子ビットを実際に作り、デコヒーレンスを抑える仕組みは、著者自身の試みと合わせて扱われる。光子を使った場合が簡単ではあるが、制御ノットを作るのが難しいとのこと(p.188-195)。

量子コンピュータについて知りたいならまず読すべき信頼の置ける本。

西田圭介『ビッグデータを支える技術』


ビッグデータ関連の技術や構築のポイントを分かりやすく書いた本。データレイクとか言ってる人は読むべきもの。著者はトレジャーデータの人なのだが、自社製品については最後の数ページで述べられるのみ。基本的にはオープンソースになっているものを組み合わせて解説されている。とても信頼の置ける態度。

ビッグデータは3V、すなわちデータの多様性Variety、データ件数の多さVolume、データ流速の速さVelocityで特徴づけられると言われる。こうしたデータを扱うには、従来の技術とは別のものが必要になる。例えばどんなデータが来るかは事前に予期できないので、先にデータがあり、データベースの設計が後と考える。これは従来のデータウェアハウスの考えとは逆。従来のデータウェアハウスはストレージとしてのデータレイクに置き換え、そこから分散処理でデータマートへデータを移して分析に供する(p.17-19)。

本書はデータ収集、データ保存、データアクセス、分析用データマートの作成に分けて語る。特徴的なところは、これらをつなぐワークフロー、パイプライン管理の必要性を全面に押し出しているところか。基本的にはHadoopとそれに関連するシステム(Hive, Presto, Sparkなど)。メッセージブローカの使い所や、時系列データの収集を工夫することで冪等性を確保すべきことなどはとても面白かった。こうした技術を本当に必要とする人は少ないだろうが、踏まえておいて損はない。

石井茂『量子コンピュータへの誘い』


量子コンピュータについて平易に語ろうとしたもの。『日経バイト』という科学雑誌に連載されていたものだそうだ。たしかに語り口は柔らかだが、量子コンピュータについてはあまり分かった感じがしない。むしろ、その周辺の話題についてはよく書けている。

量子コンピュータから話は始まる。だがしばらくは量子力学が生まれる歴史的過程について。磁気によるスペクトル線の分裂であるゼーマン効果(p.38-43)を出発点として、原子の内部構造の探求が書かれる。ハイゼンベルクの行列力学とシュレーディンガーの波動方程式が同じことを表現しているというところまで行く。また電子の自転、すなわちスピンを執拗に否定するパウリと推進するボーアの対立(p.97-103)の記述も面白い。

後半はいかに量子コンピュータを作るかについて、日本の事例(NECやNTT)を中心に書かれる。合間、トランジスタ開発の歴史だとか、超電導とジョセフソン効果などが書かれている。人工的な量子ビットの先駆的な例としては、NECの渡辺のスーパーアトムが挙げられる(p.157-161)ほか、ジョセフソン効果を用いた試みがいくつか扱われている。最後には量子テレポーテーションを用いた思考実験、量子暗号について書かれている。

歴史的な話はそれなりに面白いが、肝心の量子コンピュータそのものの内容は分かりやすいとは言えない。

松尾信一郎ほか『ブロックチェーン技術の未解決問題』


ITセキュリティの専門家たちによるしっかりした一冊。ブロックチェーンの熱狂に踊らされることなく、その技術的問題点を簡潔に指摘している。今年出た本だが執筆時点はそれよりも前。この話題は発展が凄まじいので、もう古い、あるいは解決されてしまった問題もあるのだろう。

現状のブロックチェーン技術の問題点は4つにまとめられる(p.49-54)。(1) セキュリティ要件が明確でなく、実装の安全性も担保されていない。(2) 鍵の有効期限の管理がないし、暗号技術の危殆化に対処する仕組みがない。(3) 誰もが台帳を共有できる仕組みのため、データサイズを大きくできずスケールしない。(4) 合意済みのアップデート結果があとで覆る可能性が残っている。

セキュリティ要件については、暗号技術ベースのシステムを5つのレイヤーに分けて考える視点が分かりやすい(p.162-170)。それは数学的暗号理論による暗号技術そのもののレイヤー、通信技術と相まった基盤プロトコルのレイヤー、ビジネスロジックが入った応用プロトコルのレイヤー、それらをプログラムで実装する実装のレイヤー、そして継続的に改善していく運用のレイヤー。セキュリティを保つには、それぞれの問題がこれらのレイヤーに分離されていて、各レイヤーがそれぞれでセキュリティを確保すること。ビットコインの問題点としては、システムの改ざんを防ぐセキュリティ機能がより高次のレイヤーであるビジネスロジックにマイニングとして組み込まれていて、セキュリティがうまくレイヤー分けできないことが挙げられる(p.166)。

鍵の安全性については、PKIの仕組みとの対比の記述が明確(p.126-130)。PKIは誰が署名したかを明らかにする意図で、人に紐付いていると言える。だがブロックチェーンの鍵はトランザクションの生成権利であって、人というよりは資産そのものに紐付いている。同じように公開鍵暗号の仕組みだが、その使われ方が異なっている。またPKIは認証局があるので鍵を無効にできるが、ブロックチェーンでは無効にできない。

スケーリングについてはビットコインを主な例として、SegWitなどによる拡張の試みが扱われる(p.101-107)。執筆当時よりはるかにトランザクションも増えており、ここはアップデートが激しいところだろう。

脆弱性はかなり重要なトピック。ビザンチン将軍問題が扱われる。ただこの解説(p.86-92)はビットコインの原論文がビザンチン将軍問題を解決しているかどうかを追っていて、面白くはないし、あまり意義も感じない。原論文がどうかではなく、解決できる仕組みが考えられているか、どう取り組まれているかを述べたべきだ。それよりはビットコインに対する具体的な攻撃の可能性として挙げられる、selfish miningによるマイニングの独占、fast paymentによる二重支払い攻撃、inventoryメッセージによるDoS攻撃の三つの例が分かりやすい(p.110-118)。これを読むと、たしかに単純に解決可能な課題ではないように見える。

技術的話題のほかにも一般的な熱狂に対する注記も多い。例えばビットコインは決済手数料が法定通貨に比べて安いので、国際送金に使う例が見られる。しかし、マイニングの報酬としての通貨発行益を考えると、ビットコインは実はトランザクションに対して数千円の費用がかかっている。これはクレジットカードや銀行の決済手数料と比べれば十分高額だ。ビットコインの決済手数料が安いのではなく、ユーザーが負担してないだけだ(p.41, 96)。

Appendix

プロフィール

坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。
しかし博士号は取らずPh.D. Candidateで進路変更。
哲学と特に関係なくIT業界に住んでいる。

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