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渡部哲郎『バスクとバスク人』


スペインのバスク地方の研究で有名な著者が一般向けに記した本。ほぼバスク地域の歴史について時系列順に記している。読みやすい形態でもあるので、バスク地方の歴史についてしっかりしたことを知りたければ、最良の選択になる本だろう。

バスクといえば19世紀以降のバスク民族主義が有名。しかし著者は「多様化するスペインと民族を前面に出した一元支配を固持するバスクという、今日の地域紛争の構図にフレームアップするのは短絡的である」(p.25)として、バスクを民族主義の点からのみ見ることを戒めている。この本で見られるのは、それ自体多様であり、また外の世界に向かって広く開かれているバスクの姿だ。

そもそもバスクは現在はバスク自治州としてスペインの一部となっている。こうした行政区分としてのバスク自治州はエウスカディと呼ばれ、これとは区別してバスク語を話す人たちの地域をエウスカレリアと言う(p.23, 28f)。バスク語地域としてのエウスカレリアは、現在のバスク自治州を超えるのみならず、フランス南部にまで及んでいる。ただし、その統一性はバスク語にほぼ限定され、例えば国境を挟んだスペインバスクとフランスバスクの統一性はあまり見られない。

このバスク人の起源は、インド・ヨーロッパ語族に属さない独自のバスク語とともに謎が多い。バスク人をピレネー山脈周辺に居住していた原生人類クロマニヨン人を祖先とする集団であるとする仮説が、断定的に論じられている(p.30-35)。実際はそのバスク語の起源とともに、北アフリカからジブラルタル海峡を渡ってきた人たちではないかという仮設が立っている(p.36-43)。

バスク人の特徴をなすのは、カセリオという、家を中心とするバスクの農村共同体だ。こうした小さな共同体が形成されたのは、バスク人が山がちな土地に散在して生活してきたためとされる。カセリオは家の長子が相続する仕組み。この長子相続の仕組みは、長子でないバスク人が外に進出する要因ともなった(p.57-63)。こうしてバスク人は、広くヨーロッパや海外に進出する。大航海時代を始めとして、海外に進出したバスク人が取り上げられている。また1728年に、フェリペ五世がベネスエラのカラカスとの間で設けた定期航路の存在が面白い。半世紀以上、ベネスエラはバスク人の移民先であり、バスク人の経済植民地であった(p.92)。しかし、バスク人が作り上げた海外やヨーロッパのネットワークは、フランス革命や植民地の独立運動により、統一したまとまりをなす前に個々人の資質に還元されていった(p.95f)。

バスク自治州の中心をなすビルバオ(バスク語ではビルボ)は、ビスカヤの鉱山から採鉱される鉄で古代から有名。シェイクスピアの作品にも登場する。1848年には最初の高炉が建設される。1930年にはスペイン全体に対するシェアは、粗鉄生産で78%、鉄鋼生産で74%、造船71%などだ。大きな資本を必要とするこれら産業を目当てに、金融業も大いに発展した(p.106)。こうした鉱工業の発展は、農村や他地域からの人口流入を招き、バスクの土台であったカセリアの変質を結果した(p.103-108)。

スペイン内戦で共和国側についたバスクは、フランコ将軍側による激しい攻撃、戦後の弾圧を受ける。スペイン内戦によるバスク人の疎開先となったのはメキシコ(p.140-142)。他のラテンアメリカ諸国が受け入れなかったのに対し、メキシコは例外的。さらに、バスク亡命政府はアメリカへ移った。アメリカの東海岸と西海岸の温度差が描かれる。自治奪回に向けた政治的議論は東海岸でなされた(p.142-149)。こうしたバスク人の海外ネットワークは現代に近くても活きる。グッケンハイム美術館のビルバオへの誘致(1997年開館)にあたっては、かつての海外移住によって広がったバスク人脈が活かされたという(p.201)。

最後に、バスク民族主義の創始者サビーノ・アラナのバスク語理解が、バスク語を話すバスク人というより、カスティーリャ語を母語とするビルバオ人の発想ではないかという、バスク語言語学者クルトゥビッヒの指摘は興味深い(p.185-188)。ビルバオではビルバオ方言のカスティーリャ語が話されていた。こうしたエスニシティを巡る権利主張は、しばしばその中心からではなく、外部との比較視点をもつ周縁から生まれる。

能町光香『誰からも「気がきく」と言われる45の習慣』


優秀な秘書が書いた、相手を配慮するスムーズなやり方が載っている。一貫したメッセージは、相手を尊重すること。たとえ気遣いを発揮しても、相手の求めている方向と一致していなければ気遣いとして成立しない(p.12f)。大げさなことをやる必要はなくて、ちょっとした小さなことを適切なタイミングで積み重ねることが大事(p.32-37)。

とはいえ、この相手を尊重することとはどういうことなのかはいま一つ分からない。遠慮してしまったり、断ることがうまくいかない人と比較して語られている(p.18f)。とはいえ遠慮がちな人も、相手の気持ちを尊重するあまりそうなっているわけだろう。ほんとうの意味で気が利くようになるには、人に興味をもつことが根本だという(p.55-57)。では、それはどうしたらいいのだろう。

こうした啓発系の本はどれも、あるやり方を示しながら、どうやったらそうなるのかを示していない。それが意識せず自然にできるからこそ、本を書くようなレベルにまで秀でている人であるのだから。

ピエール・バレ、ジャン・ノエル・ギュルガン『巡礼の道 星の道』


フランス人ジャーナリスト2名による、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの聖地巡礼について。著者自身もフランスのヴェズレーから1700kmの巡礼行を50日かけて行っている。その過程の日誌は本文ではなく、巻末に補遺のように収められている。本文にはおおむね12~18世紀の文献から、巡礼を行った人々や、巡礼行の経由地の様子について書かれている。

私にとって面白かったのは著者たちの日誌のほうだった。これは1977年に行われているが、本文で扱われる時代との落差が面白い。アスファルトにすっかり覆われ、あるいは大きな道路によって分断された巡礼の道。足への疲労は、現代ではしっかりした靴があるとはいえ、かなり大きい。フランス国内ではコンポステーラへの巡礼について知っている人が少なく、浮浪者や不審者扱いされる。野宿するに軒先を借りようとも断られ続ける次第。巡礼者に対して食事や宿泊を振る舞った昔の時代とはまったく違う。はては修道院にさえ、冷たくあしらわれる。。。

本文はあまり時代を区切って書かれていない。また、巡礼路にしたがって書かれているというより、トピックごとに書かれている。例えばどんな人が巡礼に出かけたのか。請願や悔誓願や悔い改め、病気の治癒といった伝統的な理由(p.20-26)から、ごたごたから逃げるための口実としての巡礼、他人に代わって代理で巡礼するビジネス(p.27-32)、または懲罰としての巡礼(p.32-35)。もともと本書の原題は巡礼者に声掛けするお決まりのセリフ、「私達のためにコンポステラで祈ってください」。

巡礼が盛んになるについて、道や橋が整備される。こうした整備を寄進するのもまた、巡礼に携わる一環となる。巡礼路に潜む危険、盗賊や山賊たち、あるいは無理解・無関心な非キリスト教徒たち。本書はフランス人の視点から書かれていることもあって、フランス国内からピレネー山脈を超えてスペイン国内につながる巡礼路が大きく取り上げられる。スペイン国内に入ってからナバラ地方、カスティーリャ地方、ガリシア地方に至る巡礼の主要路は、カミーノ・フランセス(フランスの道)と呼ばれている。

カミーノ・フランセスに殺到するフランス人たち。最盛期には巡礼路の小さな村々を一日あたり1000人が通過していったという(p.244)。カミーノ・フランセスが定着した12・13世紀、巡礼者目当てのビジネスも盛んになる。カミーノ・フランセス沿いの街を席巻し、地元の人々を辟易とさせるフランク人の商人たち(p.89-92)。

本書は歴史家でなくジャーナリストということもあるが、歴史的な整理はあまりされていない。トピックごとの記述がメインで、そのトピック内での移り変わりや位置づけなどは見えてこない。クリュニー修道院のサンティアゴ宣伝による定着とか、いわば「公式」の歴史は本書にはなく、数世紀にも渡る「巡礼の時代」における民俗誌となっている。そのため、もっと広範な視点での記述を期待するとやや肩透かしにあった。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼は、ペスト、宗教改革により一時衰退するが、やがて対抗宗教改革を経て17世紀に再び盛んに(p.244-252)といった大づかみのストーリーをまずは見たかった。

大泉陽一『未知の国スペイン』


スペインの中でも独自の文化をもつ、バスク、カタルーニャ、ガリシアについて。歴史や教会文化、食文化などが簡潔に記されている。著者はスペイン在住の経済系の研究者だが、本書はもともとその父親の記した本の改訂だそうだ。

バスクについては、その過激な独立運動もあって単書がいくつか見られる。カタルーニャは人気都市のバルセロナを含んでいるため、数多くの本がある。ガリシアはかなりマイナーな方。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼についての本が多いくらいか。これらの地域についてまとまって記しているのは類を見ない。記述の分量はバスク:カタルーニャ:ガリシアで5:3:2くらい。バスクが多い。

バスク地方の記述は、著者が一番馴染みがあることもあってよくできている。バスク地方にはもともと、アウトリゴネス、カステリィオス、バルドゥロス、バスコニアという4つの部族がいた。バスク民族だけが他の三部族と違ってローマに抵抗しなかったため、ローマ人とバスク人の友好関係が維持された。他の部族は滅ぼされた。かくしてバスク人は独自の非ローマ的伝統的社会や文化を保持することができた(p.7-9)。8世紀には南からウマイヤ朝、北からはフランク王国カール大帝がバスクに攻め入る。この狭間でバスクの人々は、バスコニア人としてのアイデンティティを維持しようとする。かくしてバスクは9世紀にはパンプローナ王国を確立し、10世紀にはそれが分裂してナバラ王国となる(p.14-15)。16世紀にはアラゴン王フェルナンド5世に征服され、カスティーリャ・アラゴン連合王国に組み入れられる。

バスク地方は1833年第一次カルリスタ戦争の敗北により、1876年スペインの一地域として組み入れられる。国民国家の形成の時期、バスクがアイデンティティを再び模索し始める。サビノが始めるバスク民族主義はこの後、1893年に宣言される(p.18-25)。1931年にスペインで第二共和政が成立し、バスクに自治の機運が高まる。1936年には、アギレを大統領としてバスク自治政府が成立する。ただ、フランコ反乱軍と共和国政府軍の戦いでは共和国側についたため、これがかのゲルニカの空爆につながる。フランコの勝利によりバスク地方は自治権を剥奪され、弾圧の時代へ入る(p.30-37)。フランコ退陣のあと、1979年になってようやく自治政府が復活。ただし国家はあくまでスペイン一つであり、バスク人はスペイン人との位置づけが続いている(p.42-44)。

世界で活躍したバスク人として、まず大航海時代の探検家が書かれる。フィリピンを征服したレガスピ司令官、太平洋航路を発見したウルダネータ、はじめて世界を一周したエルカノ。また、バスク人は世界最古の捕鯨歴史をもつそうだ。セミクジラの漁を近海のビスケー湾で行っていた。鯨を追ってコロンブスのアメリカ到達より100年早くカナダの東北海岸に到達したりもしている(p.56-60)。バスクといえばイグナチオ・デ・ロヨラが創始したイエズス会。フランシスコ・ザビエルの話もある。また、バスクの伝統的スポーツや祭りについて記されているのも特徴的。

カタルーニャの歴史はだいぶ簡潔な印象。カタルーニャも自治を求めてフランコと戦った。ゆえにフランコ政権で弾圧に合う。1977年には、スペインで最初に自治の復活を成し遂げる(p.119-121)。カタルーニャの記述はモンセラット山のベネディクト会修道院の話が多い。天正少年使節がモンセラット山に立ち寄っており、その話も扱われる。文化面は何と言ってもガウディの建築。カタルーニャ地方にあるガウディの設計した建築物が紹介される。

ガリシアの歴史は古代ケルト民族が扱われる程度。記述の大半は、聖都サンティアゴ・デ・コンポステーラの広場や教会建築についてだ。作付面積も少なく都市部の産業を発展させて吸収することもできないガルシアの農民は貧しかった。アンダルシアとは農業の規模がまったく違う。そのため、18世紀には中南米への移住が始まる。1960年代には特に旧西ドイツに職工移民としての出稼ぎが急増した(p.185-188)。

最後にはフランコ政権時代の愛国的歴史教育について書かれている。その教育が残したスペイン至上主義はいまだに影響が大きく、若者には英語の学習意欲が低いなど、外国への興味が薄い現状を生んでいるとのこと(p.205-207)。

坂本俊之『人工知能システムを外注する前に読む本』


ディープラーニングとはどういうもので、ディープラーニングを使ったシステムを開発しようとしたらどのような点に気をつける必要があるかを書いている。著者はスマホアプリ等を作ってきた開発者のようだ。こういった課題はコンサルティング会社を中心に多く扱われているが、本は少ないので面白い試みか。

ディープラーニングについての解説が半分以上を占めている。ビジネスサイドの初心者がサーベイしておくべきレベルの話が続く。ディープラーニングを使ったシステムの開発が普通のソフトウェアの開発と異なる点は、結局3つ。大量の学習用データが必要になるので、データ準備・作成に費用・工数がかかること。また、精度があらかじめ保証できるものではないので、ある程度、失敗を許容して進むべきこと。さらに、開発にGPUを始めとした特有のインフラが必要なこと(p.124-136)。それ以外の点においては、ディープラーニングを使ったシステムでも、それを業務で運用しようとしたら周りのシステムとつながなければならない。結局はシステムインテグレーションの必要がある(p.117-123, 263-267)。よってSIerの仕事はなくならない。

それぞれの点で対処方法は異なる。学習用データの作成は人手を投入して短縮できる。しかしモデルの学習段階は、計算資源がネックになる。結局は計算が終わるのを待つ時間が増えるので、この工程で人を追加しても無駄だ(p.141-144)。むしろ計算パワーを追加する必要がある。一方、学習用データは人を投入すればいいので、この工程だけ別途の契約にすることもできる(p.229f)。ちなみに、学習用データのことを著者は一貫して教師データと書いている。教師なし学習を行う場合でも、学習用データの収集は同じく必要で、教師データと限定する意味はない。

学習はうまく精度が出るかは事前に分からないので、アジャイル開発のアプローチが適するとしている(p.230f)。ただし、著者の書くアジャイルは学習用データ作成の計画段階から、モデル設計、学習、性能評価の一連のサイクルをアジャイルに回すもの。実はモデル設計と学習段階にこそアジャイルに回すべきループがある。ハイパーパラメータの膨大なチューニングなど。ここは外注する想定で一つにまとめられているのだろう。

学習済モデルの権利問題について扱われているのは、最近の話題をフォローしている。ただ、学習済モデルに著作権が認められないというだけで、特段、新しい方向性や提言はない。なお学習用データの作成のところは、収集したデータに著作性が認められるか(あたかも電話帳やデータベースの著作性のように)が述べられている(p.247f)。ここでは、学習用データの作成のためには既存の著作物の利用が著作者の許諾なく可能という、著作権法47条の7(情報解析のための複製)についてぜひとも述べておくべきだろう。

この本はおそらく流行りに乗ってディープラーニングの開発を外注する想定で書かれている。しかしほとんどの部分はデータ分析のプロジェクトに共通するものだ。本書もどうやら本来はそうした方向を見ているようだ。コラム的にある「やってみよう」コーナーでは、エクセルのソルバーを使った線形回帰が内容を何も解説しないままいきなり登場したり(p.99-105)、なぜかWekaが出てきたり(p.172-185)。ディープラーニングを触ってみようと出てくるのが、誰も知らないようなJavaベースのsimbrain(p.232-240)。TensorFlow Playgroundでも紹介すればよいかと。

最後に、著者の理解の怪しそうなところ。ビジネス側の人間ならともかく、開発者がこのような理解なのはどうか。

学習用データが1つしか必要のない例として、スタイル変換のChainer-Goghが出ている(p.110f)。Chainer-Goghはすでに十分に学習されたCNNであるVGG-16を使っている。学習用データが1つしか必要のない例とはとても言えない。それなら、例えば学習済のモデルを使って単純に手持ちのデータで画像分類に使うのも、学習用データが1つしか必要のない例となる。Chainer-Goghにも「学習」があるが、普通のCNNのようにネットワークの重みではなく、入力画像そのものをSGDで変化させるものだ。同列に学習と呼ぶべきものではないだろう。

ニューラルネットワークの精度を評価するものとして、決定係数が挙げられている(p.212)。これは「出力された結果がどのくらい正解しているかを表す数値」だそうだ。それはPrecisionというのではないか。決定係数はディープラーニングではなく回帰分析で出てくるもので、定義がいくつかあるがメジャーなのは「残差の平方和を標本値の平均からの差の平方和で割ったものを、1から引いた値」といったところ。ちなみに「決定係数の逆数(つまり、不正解の割合)」(p.212)と書いてあるが、Precisionが60%(6/10)だったらその逆数は10/6=166.7%だ。これは不正解の割合40%ではない。

「強化学習」という単語については、全面的に誤解しているようだ(p.217-220, 250f, 257)。何を言おうとしているのか判明ではないが、一度学習したモデルに別のデータを与えて学習することを強化学習と考えてるらしい。モデルを「強化する」とでも言うのだろうか。それは最大限に好意的に解釈しても、転移学習だ。教師データを自動的に収集してディープラーニングのモデルの精度を向上させる手法が強化学習だという誤解が、どうやら一般に流布していると知り合いから聞いた。たぶんそんな誤解だろう。教師あり学習だけを扱っているから本書の趣旨には影響しないものの、残念すぎる。
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